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音楽は楽しい・・・35年前に帰る年末 [音楽的雑談]

             

あけましておめでとうございます。

気付くとまた1年が過ぎて行った。怖いくらい早い。
1日1日をもっと大切に過ごさなきゃいけないな。

さて・・・去年だか一昨年だかに、似たような記事を書いておりますが。
一時のブームも去って、普段は足が遠のきがちなカラオケ・ボックスであるが、忘年会シーズンとも
なると流れで何度か足を踏み入れることになる。昨年末もそれは同様であった。

年も押し詰まった12月の最終週は、会社で何かと可愛がってもらっている部長クラスの男性2人と
元同僚の女の子と4人で忘年会をしてそのままカラオケへとなだれ込んだ。
50に手の届いた部長クラスとは言え、彼ら2人は気だけは異常に若い。(←人の事は言えない)
軽いというか"軽薄" に近い・・・。したがってカラオケボックスでの選曲といったらだいたい予想は
ついていたが、結果的には予想をはるかに上回る軽薄ぶりであった。
郷ひろみの「よろしく哀愁」とか沢田研二の「危険なふたり」、平浩二の「バスストップ」など
調子っぱずれのハイトーンボイスで一生懸命歌っている・・・。
まあ個人的に言えば、いい年をしたオジサンが若者に対抗してオレンジ・レンジだのEXILEだのを
必死に歌う図よりも、年代に従ってジュリーとか新御三家とかを歌っているほうが見ていて無理が
なくてまだイイとは思うのだが、そうは言ってもやっぱりその下世話なムードにゲンナリしてしまう。

でもまぁ、音楽に貴賎はない。それなりに楽しく1曲1曲を楽しんで、私自身はビージーズとか
カーペンターズとか洋楽でも無難なところを選んで歌っていた。
ふと、ビートルズの「アビィロードB面」という、いかにもワクワクするメドレー(メドレーというか、
"You Never Give me Your Money" から"The End"までをとにかくアルバムそのままに
順番に歌うもの)があるのが目に入ったが、この人たちにそれがウケるとは到底思えなかった
ので、その上段にあった「ビートルズメドレーVol3.」とかいうのを選んでみた。
これは All You Need is Love から始まり、Let it be やら Hey Jude やら、後期のシングル
カットされた有名曲のメドレーで、実際今さらそれほど目新しくもないんだけど、彼らは
「おぉ~milk、おまえやるなァ!」とかいって、喜んで一緒に歌ってくれた。
"Something" では「おまえ渋いのよく知ってるな!」なんてお褒めの言葉まで頂戴し
(誰にモノ言ってるんじゃ!!と眉根がヒクヒクしながらも、ピースサインで応える私)まあそれでも
それなりに楽しかったりして夜は更けていく。

最終的には私もようやく覚悟が出来て(何の?)「よぉし、年代しばりの歌謡曲で行きましょう!!」
と自ら提案をし、まずは1975年くらいに遡って、その年の歌謡曲をローラー大作戦で端から端まで
順番に歌い始めたのである。これが、思いのほか面白かったのだが・・・(←私も充分楽しんでる)

ここで、面白い事実に突き当たった。
小さい頃から歌番組はだいたい網羅して見ていた私でも、さすがに年代ローラー大作戦ともなると
その年の曲の3分の2わかるか、わからないかくらいなのだが、何故か!
1972年の歌謡曲だけはほぼ100%全て歌えた のであった。
そしてこの年の曲は、全て歌えたばかりでなく、妙に自分の心の琴線に触れる好みの曲で溢れて
いたのである。

1972年 というと・・・・・・私は幼稚園後半~小学1年生の頃合である。
時代的には、あの連合赤軍浅間山荘事件があったり、グアムで日本兵の横井庄一が発見されて
「恥ずかしながら帰ってまいりました」 と30年ぶりくらいに日本の地を踏んだりした頃だ。
(どちらの記憶も映像的に異常に鮮明)

それにしても小学校5年生くらいとか、中1とかそのくらいの年代なら判るが、なんで幼稚園児の
時の歌謡曲が一番自分に馴染みがあるのだろう??
まさか我知らず年齢をサバ読んでいるとか?どこかで数年多く生きていたのを、親が何かの事情で
隠しているとか?
どう考えてもおかしい。一緒にカラオケに居た2人の男性も「おまえって一体何歳なんだ?俺たちは
1972年というともう高校生になってるから懐かしくて当たり前なんだよ。なんで10も下のおまえが
この時代が懐かしいわけ?」

うーむ、確かに・・・・・

ところで、1972年にはどんな曲があったか、そして幼稚園児の milk_tea の心にどう響いていたか
をいくつかザッと解説してみたい。(記憶のみで書いてみるので色々事実と違うかも)

* * *

●出発の歌/上條恒彦と六文銭
  なんか「ナンタラ世界歌謡祭」みたいなので大賞を取って壇上で1列に並んで表彰されてヒゲの
  おじさんがこの歌を高らかに歌っていた。
  フォークという世界観を超えた壮大な(大げさな?笑)曲なのだが、ゴージャスなサビよりも
  穏やかなAメロに味わいがある。
  実際は上條恒彦ではこの曲よりも、ドラマ木枯らし紋次郎のテーマ『誰かが風の中で』のほうが
  好きだ。こちらも小室等(小室哲哉ではない)の作品。
  今回、『誰かが・・・』のほうもカラオケで続けて歌ってみたが、実際歌ってみるとその名作ぶりが
  実感できる。Aメロ、Bメロのコード進行がとてもデリケートで難しく、歌詞がAll You Need is
  Love のAメロみたいに、メロディにあてるのが難しい。
 
●ハチのムサシは死んだのさ/平田隆夫とセルスターズ
  何だかわからないが、子供の時よく大声で歌っていた。
  「向こうみず」という言葉をこの歌で初めて覚えた。
  いまだに、この歌は結局なんだったのか判然としていない。私の中では『帰ってきたヨッパライ』
  と同じような位置付けなのではあるが、妙にインパクトのある1曲だった。
  ハチのムサシって誰のことなの??
  
●夜明けの停車場/石橋正次
  石橋正次。今でいう誰に当たるのかなぁ。アウトローキャラでしたね。
  子供心にもシブイと思った。「テイシャバ」ってのも時代モンである。でもきっとこの曲が売れた頃
  でも、19とかハタチくらいだったのではないだろうか。
  絹の靴下の夏木マリもあの色気で当時まだハタチくらいだったというし。

●太陽がくれた季節/青い三角定規
  パパパ・パーパー・パーパパー のイントロがあまりに有名な「飛び出せ青春」の主題歌。
  この、元気なんだけど物憂い感じ日本人は大好きですね。売れるのは必至でしょう。
  これを聴くとやっぱり、ボールを片側に抱えて走りたくなりますね。
  最近このグループの1人が飛び降り自殺をしたと思った。

●旅の宿/よしだたくろう
  子供心にも、何だか淫猥なムードがある曲だな~と思ってドキドキしながら聴いていた。
  合わせてヒットした『結婚しようよ』の冒頭の、(男の)髪が伸びたら結婚するんだいう、真っ当な
  大人の方向性から外れた感じが、同様に幼な心をドキドキさせた。
     
●傘がない/井上陽水
  ♪都会では~自殺する~ から始まる、あまりに救いのない暗い曲・・・・・。
  さすがの私も、自分にはまだ早い、と思って、あえてスルーした。
  でも実は気になっていたのである。

●喝采/ちあきなおみ
  何とも重~い1曲であることは子供ながらに理解していた。
  何しろ、ちあきなおみの迫力がすごい。1曲にこれだけ魂を込めて歌い上げられるというのは
  稀有の才能だと思う。
  3分の中に、どっしりとした1人の女の生き様が展開され、単なる流行歌とは思えない奥行き
  があった。これだけの名曲と名歌手の奇跡的な出会いにはただただひれ伏すしかない。
    
●終着駅/奥村チヨ 
●さよならをするために/ビリー・バンバン
  自分が基本的にマイナー(調)志向なんだな、と思うのはこういう2曲に子供の頃から何となく
  惹かれずにいられなかったことからも伺える。
  本来、マイナーすぎるマイナー曲はさすがに苦手なのだが、この2曲のように取り付くシマもなく
  徹底的に暗いと、それはそれでどこか美しいものを感じ、惹かれてしまうらしい。
  奥村チヨの前曲の『恋の奴隷』なんかは何だかいやらしい感じがして、親も見ている手前まともに
  見ていられなかったし少しも好きではなかったが、この『終着駅』は妙に好きでいつも陶然として
  聴き惚れていたものだった。
    ♪落ち葉の舞い散る停車場は 悲しい女の吹き溜まり~    暗い・・・そしてまた停車場。

●許されない愛/沢田研二
  ジュリーの歌で一番好きなのは『時の過ぎ行くままに』なんだけど、2番目に好きなのがこれだ。
  なんかGSムードが残っている雰囲気がいいのですね。
  『あなただけでいい』も同じ頃のヒット曲だったと思うけど、私の好みとしてはこちらですね。

●北国行きで/朱里エイコ
  この曲がいいんだな~。Aメロは哀調でいっぱいに男と別れて北国へ行く淋しい気持ちを
  切々と歌うのだが、サビでいきなりパンチの効いたメジャー調に移るのがシビれる。
  このころは、この朱里エイコをはじめ奥村チヨだの欧陽菲菲だの、過去に何をしてきたんだか
  わかったものではない、生い立ちが怪しげな女性歌手が多くて楽しかった。

●待っている女/五木ひろし
  五木ひろしは、森進一と違って私個人的には、昔から見事に何ら引っ掛かってこないのだが
  この曲だけはちょっとイイなと思っていた。
  ハネたリズムの演歌、というだけでもちょっと新鮮味がある。

●純潔/南沙織
  ワタシ的には『17才』よりも、この『純潔』。タイトルは言うまでもなくスゴイが、歌詞の
    ♪嵐の日も貴方となら おうちが飛びそうでも 楽しいのよ・・・
  こんな詞のどこが"純潔"なのかサッパリわからないが、「あっ・・らしの日も かっ・・れとならば」
  という、あたまにアクセントを持ってきた面白い曲で、よく口ずさんでました。

●ふりむかないで/ハニーナイツ
  曲そのものには、何のシンパシーも覚えないのだが、この曲を使っていたCMのエメロン
  シャンプーが私の当時の憧れアイテムだったため印象が深い。
  従姉妹のお姉ちゃんがお風呂の中で、タライにお湯を張って黄色いエメロンクリームリンスを
  キャップ1杯溶かし、そこに頭を突っ込んで髪をリンスする姿が「オシャレな女のしなやかな
  一風景」として私の目には映っていた。今、このリンス方法は絶滅したけど。
  あの「♪振り向かないで~大さ~かの~人~」のBGMに合わせて恥ずかしそうに振り向く
  女性たちの映像を見ながら「私もいつかキレイなお姉さんになって、街で背中を叩かれたい」と
  思ったものである。
  
●芽ばえ/麻丘めぐみ
  麻丘めぐみは、この『芽ばえ』でデビューし、ほどなくして出た『私の彼は左きき』の大ヒットで
  スーパーアイドルとなったが、私はずっと「デビュー曲のほうがいいのに!」と思い続けていた。
  普通子供だったら、キャッチーな要素の多い「左きき」のほうを好むに違いないが、そこは
  さすが小さくても milk_tea、「芽ばえ」のメロディの柔らかな優しさ、でも意外に刺激的な歌詞、
  そしてラストの「♪離れな~いわ~」でいきなり拍子が変わる唐突さなどに心撃ち抜かれて
  「カワイイじゃんけ、めぐみちゃん」なんて思っていたのであった。

  
●ケンとメリー (愛と風のように)/BUZZ
  日産スカイラインのCMソングだったんだけど、この辺りの時代は割とアクの強い楽曲ばかりが
  ハヤっていたが、そんな中にあってこの曲は"妙に薄味な感じ"だった。
  CMそのものも、商品ばかりを前に押し出すのではなく、外人のような日本人のような
  (要はハーフだったんだと思うが)若い男女が語り合ったり、手に手をとって歩くようなさりげない
  映像の中の1つの小道具として車がある感じの、かなりイマドキなCMだった。
  この時代にブランド・アイデンティティなんていう意識が企業にあったのかは不明だが、
  イメージ先押しの、えも言われぬイイ雰囲気の漂うCMだった。
  静寂感と茫洋さのあるAメロのあとの ♪虹の~向こうへ~出かけようぅ~で、グーンと広がり感
  が出るところが大好きで、いつもウットリとしてCMを見ていたのを思い出す。
  大きさはあるが、全体的に薄味で肩に力が入っていないムードが今のポップスにつながっていく
  先見の明があった1曲だったと思う。

●そして、神戸/内山田洋とクールファイブ
  これに関しては、別に当時からそんなに注目したことはなかったのだが、今回これをカラオケで
  流れるのを聴いて「これは偉大な曲だ」と再認識するに到った。
  ついこの前の紅白でもたまたま前川清がこれを歌っていて、同じようにそう思った。
  とにかく歌詞に迫力があるのと、メロディ的にもかなり難しい楽曲を軽々と自分の世界観の中に
  閉じ込めて歌いこなした前川清のスゴさを実感した。 
    ♪神戸~~ 泣いてどうなるのか 捨てられた我身が みじめになるだけ
      神戸~~ 船の灯うつす濁り水の中に 靴を投げ落とす
  のっけから「神戸~~」と、地名をただ乱暴にぶつけたあとに「泣いてどうなるのか」。
  "船の灯うつす濁り水に、靴を投げ落とす"っていう表現も文学的で凄みがある。 
  言葉数はたいしてないのに、神戸の街のムードと1人の女の人生を存分に表現している、
  いやはや名曲と言われるだけあるスゴイ曲だと思う。
 
●あの鐘を鳴らすのはあなた/和田アキ子
  ベタではあるが、やはりこの曲は懐が深くて素晴らしい曲である。
  近年は和田アキ子がやたら大舞台でこれを歌うので少し食傷気味だけど。
  "あなたには希望の匂いがする"という歌詞部分が子供の頃から好きであった。
  希望の匂いがする人、って確かにたまに居るんだよな・・・・。
  そういう人のあとを、信じてついていきたいものです。

●ひなげしの花/アグネス・チャン
  この歌い出しが「♪丘の上」だと認識したのは、だいぶあとのことである。
  ずっと「オッカの上」だと思い続けていた。それが何を意味するのか考えたこともなく
  ただ真っ直ぐに「オッカの上」という、何かの場所の上なのだろうと思っていた。
  そのくらいアグネスの歌い方は奇異だったと言えよう。
  私はとにかくあの頃アグネスが好きで、母親に内緒で長いファンレターをしたためて
  お箸を入れる引き出しの奥に隠し持っていたものだった。

他にも色々な曲があったと思うが、とにかくこの1972年のヒットチューンには、私の幼い心に
グッと迫る曲が多かったのであった。思えば、世間擦れしたイヤな幼児だけどな・・・・。

昨日実家に帰ったので、この時の話を母親にして「私、幼稚園とか小学校低学年の頃の歌謡曲に
やけに明るいんだけどなんで?」と聞いてみたら
「そんな昔のこと聞かれても知らないわよ。あんたも本当、昔の話が好きねぇ」 と一蹴された。
常に今だけを生きる母だ・・・。


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manamana

明けましておめでとうございます。
毎年我が家では紅白を見ます。
新しい歌は、ここで初めて聴くことも多いのですが、
普段聴かない演歌のベテランの歌、
懐かしの歌(上記では、「そして、神戸」「あの鐘・・・」)、
そして、石川さゆりや五木ひろし、
良かったです。
お母様との会話、いいですね。
by manamana (2008-01-03 08:34) 

ベアトラック

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は、素晴らしい長編記事をありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
あまりに懐かしい曲のオンパレードに、新年早々涙が出そうになりました。
by ベアトラック (2008-01-03 10:56) 

milk_tea

manamanaさん、nice!とコメントをありがとうございます。
あったかいブログでいいですね~!なんか幸せそうで羨ましいな~!!
そうそう私も紅白は絶対見ます。今回は個人的にはイマイチだったかな。
どういう在り方が一番いいのか、難しい局面に来ているでしょうね。
by milk_tea (2008-01-03 11:37) 

milk_tea

ベアトラックさん新年からどうもありがとうございます。
こちらからはご無沙汰しっぱなしなのに本当にすみません。
年末は大安さんがいきなりブログを閉じられたりしてビックリしましたね。
皆それぞれに色々ありますが今年も何卒宜しくお願いいたします。
今年は充実した明るい1年にしたい!!というのが私の強い願いです・・・。
by milk_tea (2008-01-03 11:40) 

derosa84

あけましておめでとうございます。
久々のコメントです。
milkさんのよく覚えている曲はちょっと年上の僕はちょっとだけリアルタイムです。
しかし、僕もそれ以前の曲、よく知ってると年上の方々からよく言われますよ。
それは多分、僕より5歳上の姉の影響大だと思いますけどね。
そして僕も母がまだ生きていてmilkさんと同じこと聞いたら
同じようなことを言われそうです。
そんなところで今年もよろしくおねがいします。

PS:大安さまはどこかで必ず生きています。
by derosa84 (2008-01-03 17:01) 

MASA

milkさん、明けましておめでとうございます。
先ほどは私のブログにコメントもありがとうございました。

幼少時の音楽体験の記憶の方が鮮明なのはやはり情報の吸収率がその年代の方が高いからでしょうか。
考えてみたら、私も中高生の頃より小学生の頃耳にした歌謡曲やGSのヒット曲の方が歌詞を観ないで歌えたりしますからねえ。
でもmilkさんみたいにマセたガキではなかったので(笑)歌詞を噛み締めて聴くなんてことはあんまりしなかったなあ。
さすがmilkさん、そんな年端も行かない頃からすでに感性の鋭さを持っていたという逸話ですな。恐れ入りました。

というわけで、今年も面白い記事期待してますよ。
by MASA (2008-01-03 17:10) 

路傍の石

milkさん、あけおめです!

1972年というのはですねー。以前拙ブログでも書きましたが、拙の音楽人生のキモ!というよりもここが心臓部なんですよ!!拙は当時小学5年生。もうね、この1972年があったから今の拙が存在しているようなもの。いやホント!!!

> このころは、この朱里エイコをはじめ奥村チヨだの欧陽菲菲だの、過去に何をしてきたんだか
> わかったものではない、生い立ちが怪しげな女性歌手が多くて楽しかった。

72年というと大阪万博後なんですが、まだ微かに戦後の影が残っていたからでしょう。そんな想像力を掻き立てられるところがまた昭和の魅力でした。

> それにしても小学校5年生くらいとか、中1とかそのくらいの年代なら判るが、なんで幼稚園児の
時の歌謡曲が一番自分に馴染みがあるのだろう??

それはだからお兄ちゃんがいたからじゃないのかな?milkさんのお兄さんって6歳年上で拙と同い年なんだっけ?拙にも6歳年下の妹がいるから、今度その妹に72年がどういう年だったか聞いてみよう。

ちなみに拙の1972年のベスト3は・・・

1.太陽がくれた季節/青い三角定規
2.喝采/ちあきなおみ
3.瀬戸の花嫁/小柳ルミ子

特に「太陽がくれた季節」はカラオケで絶対に歌います!

> 「そんな昔のこと聞かれても知らないわよ。あんたも本当、昔の話が好きねぇ」 と一蹴された。
> 常に今だけを生きる母だ・・・。

う~む。まるで拙の生前の母との会話そのものだ。ふつう、女性ってあまり昔の流行などの話はしたがらないような気がします。こういうネタは男の特有のものという気がするんですが、milkさんのその執着心はやはりタダ者じゃないですよね!

それにしても、そんなmilkさんと一度カラオケでお手合せ願いたいところです。歌の上手下手を越えて、どちらが時代に対してより思い入れが深いかを競うガチンコ勝負で!(笑)
by 路傍の石 (2008-01-03 21:32) 

milk_tea

derosaさん、大変ご無沙汰で~す。
今年も宜しくお願いいたします。

>しかし、僕もそれ以前の曲、よく知ってると年上の方々からよく言われますよ
>それは多分、僕より5歳上の姉の影響大だと思いますけどね。

なるほど、結局はお兄ちゃんお姉ちゃんの動きにリンクしているわけですね。
そうかもしれません。
面白いことに前年の1971年となるといきなり曲の認知度が低いのです。
6-7歳で急激に自我に目覚めて周囲のものを受け入れ始めたという経過が
垣間見られます。

>そして僕も母がまだ生きていてmilkさんと同じこと聞いたら
>同じようなことを言われそうです。

お母様、もう亡くなられてるんですか?
それは淋しいですね・・・・母親が居ないというのは何より淋しいことかも。

>PS:大安さまはどこかで必ず生きています。

そんな気がします~。名前を変えてね・・・(笑)
by milk_tea (2008-01-04 11:10) 

milk_tea

MASAさんどうも!!今年も宜しくお願いしますね~!

>幼少時の音楽体験の記憶の方が鮮明なのはやはり情報の吸収率が
>その年代の方が高いからでしょうか。

一見、中高生時代のほうが高そうに思いますけどね。実はもっと低年齢
なのかもしれないですね。
そう思うと、幼稚園~小学校時代の子供には色々な経験させたり良い物を
見せたり聞かせたりしないといけないってことでしょうね。

>さすがmilkさん、そんな年端も行かない頃からすでに感性の鋭さを持って
>いたという逸話ですな。恐れ入りました。

感受性という点では同年代の子供より多少は高かったのかもしれませんが
まあ全然普通でしたよ。今もそうであるように・・・・・(笑)
MASAさんはずっとコンスタントに記事入れられていてスゴイですね。
皆さん引き出しが多すぎです!私も重箱の隅をつつくようにして今年も細々
続けていこうと思いますので宜しくお願いいたします。
by milk_tea (2008-01-04 11:16) 

milk_tea

路傍たん!ご無沙汰&あけましておめでとうございます!!

>1972年というのはですねー。以前拙ブログでも書きましたが、拙の音楽
>人生のキモ!というよりもここが心臓部なんですよ!!

おぉ!そうなんですか?
歌謡曲ツウの路傍さんがそう仰るということは、私が幼いにも関わらず1972
年の歌謡曲に妙に記憶と思い入れが深いのは、私の個人的背景ではなく
単に1972年の楽曲が特別優れていたからなのか?
もしかするとそうなのかもしれないですね。優れていた、というか妙に心の
芯に触れるような曲がたくさんあったんですよね・・・。

>まだ微かに戦後の影が残っていたからでしょう。そんな想像力を掻き立てられるところがまた昭和の魅力でした。

そういうところはあるかも。まだ戦後のドサクサが個々人の過去のどこかに
影を落としていた時代だったのかも。

>milkさんのお兄さんって6歳年上で拙と同い年なんだっけ?

そうです!ああ、路傍さんはうちの兄と同じ年齢なのですね?
道理で会話がスムーズなはずだ・・・。

>拙にも6歳年下の妹がいるから、今度その妹に72年がどういう年だった
>か聞いてみよう。

え、そうなんですか?それは是非聞いてみて下さい。
というか、貴方、私のお兄ちゃんじゃないでしょうね???(笑)
(って、この会話、以前したことがありますねそういえば!)

1.太陽がくれた季節/青い三角定規
2.喝采/ちあきなおみ
3.瀬戸の花嫁/小柳ルミ子

おお、そうなんですね。喝采は素晴らしいですよね・・・・。
ただ私、昔から小柳ルミ子は苦手だったんです。何故だろう。
♪瀬戸ワンタン 日暮れ天丼、は声を張り上げて歌ってましたけども・・・。

>女性ってあまり昔の流行などの話はしたがらないような気がします。

そうかも。女ってもしかすると「今を生きる生き物」かもしれないですね。
そういう点ではやっぱり私は少し男っぽいのかもしれません。

>そんなmilkさんと一度カラオケでお手合せ願いたいところです。

それは本当に楽しそうですね・・・・・!!
24時間耐久カラオケくらい軽く出来ちゃうかもしれないですね。
それでは本年も宜しくお願いします。
by milk_tea (2008-01-04 11:29) 

AKIRA

ムムム・・・・潔くないPETTYです(爆)
1972年も年男だったわけだ。小学校6年生から中学1年にかけての時期だから、日本の流行歌好きでありながら洋楽にのめり込む入口の時代。歌謡曲の幅が広くてイイ楽曲が沢山生まれた時代ですね。おやっ?って思うくらい洋楽パクリなモノからジャンル不明な怪しいモノまで耳にこびり付いた時代。小学校の卒業文集に、好きな曲が「喝采」でも「ひなげしの花」って書いてもおかしくなかった時代。歌謡曲の持つパワーが世代を超えてた時代。70年代って、そんな時代の中心にはいつもジュリーがいたような気がします。レコード大賞も紅白歌合戦もかくし芸大会も・・・ジュリーがいたから楽しかった。時代がジュリーってジャンルを拒否したのか、ジュリーが時代を拒否したのか・・・わかんないけど、やっぱ寂しい。

それにしても・・・ホントにmilkさんは「マセたガキ」だったんでしょうねぇ〜。MASAさん同様、歌詞を噛み締めていたら・・・とっても「喝采」が好きだなんて私は6年生じゃ言えませんもんね。
by AKIRA (2008-01-04 12:02) 

parlophone

milkちゃん、明けましておめでとうございます。。

1972年といえば、ぼくは高校3年生。
ここに載っている曲はほとんど知ってますね~。
もちろん歌えるわけではありませんが。

このころってフォーク・ブームのころですね。
自分でも弾いていた曲がたくさんあります。
「旅立ちの歌」とか「旅の宿」とか「傘がない」とかね^^

それから天地真理でも小柳ルミ子でも南沙織でもなく麻丘めぐみのファンだったので「芽ばえ」は好きでしたね。^^
「私の彼は左きき」はキャッチーだけど通向けじゃなかったのよね(爆。

あと、milkちゃんなら当然知っていそうなことなのに書いてないことを2つだけ補足しておきますね。

●傘がない/井上陽水
ビートルズの詞とグランド・ファンクの曲を合体させて作った曲ですね。
詞は「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」、曲は「ハート・ブレイカー」です。

●待っている女/五木ひろし
出だしがマイルズ・デイヴィスやスタン・ゲッツの名演で名高い「ディア・オールド・ストックホルム」にそっくりです^^
おそらくパクってます^^

それにしても全部歌えるなんて、ほんと、スゴイ…。
by parlophone (2008-01-05 00:01) 

milk_tea

PETTYさん・・・・・どうも初めまして。(一応)
そうか!PETTYさんは今年は年男さんなんですね。

>そんな時代の中心にはいつもジュリーがいたような気がします。
>時代がジュリーってジャンルを拒否したのか、ジュリーが時代を拒否したのか

彼はずっと最前線に居ましたね~。飛ぶ鳥を落とす勢いとはまさにああいう
存在のこと。
でもやっぱり10年連続「抱かれたい男No.1」だったキムタクが、初めて去年
小栗旬にその座を奪われたように、誰のせいでもなく、いつは代変わりする
わけですよ。花は散るからこそ美しい。くそ~まだ散ってたまるか!
(だんだん意味不明に・・・^^;)

>それにしても・・・ホントにmilkさんは「マセたガキ」だったんでしょうねぇ〜

いや、そうでもないんですよ。無邪気なもんでした。
そういう感受性を実生活に生かすほどまだ知恵がなかったというか、
朱里エイコは朱里エイコ、お遊戯会はお遊戯会って感じでしたね
(これまた意味不明?)
PETTYさんとやら、今年も宜しくお願いいたします~(笑)
by milk_tea (2008-01-05 00:15) 

milk_tea

parloさん、おかえりなさい。&今年も宜しくお願いいたします。
早速コメントいただきありがとうございます。

>それから天地真理でも小柳ルミ子でも南沙織でもなく麻丘めぐみのファン
>だったので「芽ばえ」は好きでしたね。^^

おー!?それは知りませんでした。麻丘めぐみ派だったのですか!
その頃の中高生男子の「好きなアイドル」の分布はどんな感じだったので
しょうね。うちの兄は栗田ひろみとかいうのが好きだった記憶が・・・・。

>「私の彼は左きき」はキャッチーだけど通向けじゃなかったのよね(爆。

そう。ちょっとキャッチーすぎて味わいがないですよね。
「芽ばえ」は、まさに「萌え~」を感じさせるものがありつつ懐の深さがある
良い曲でした。(そういえば「萌え~」って早くも死語ですね。早!)

>●傘がない/井上陽水
>詞は「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」、曲は「ハート・ブレイカー」です。

えーー!!知らないです。幼稚園児はそこまで押さえられなかった!
そういえば、新聞に書いてあった記事の・・・・みたいな歌詞ですもんね。
そうなんだ~

>●待っている女/五木ひろし
>出だしがマイルズ・デイヴィスやスタン・ゲッツの名演で名高い「ディア・オールド・ストックホルム」にそっくりです^^

これまた、知らないです。なるほどジャズの名曲からパクってるからどこか
演歌にしちゃ奥行きがあるわけですね。
ビートルズも色んなアーティストをパクっていたし、結局音楽の歴史って
パクリの連鎖でもあるのかもしれないですね。
貴重な情報ありがとうございました~!

>それにしても全部歌えるなんて、ほんと、スゴイ…。

でしょう。しかしこんなにも記憶力が良かったというのに、なんで今、先月
やった伝票の上げ方を全く覚えてなかったり、どんなに教わってもエクセルの
マクロ計算が理解できなかったりと、こんなにバカなのでしょう??
我ながらイヤになります・・・・。
by milk_tea (2008-01-05 00:38) 

あるべりっひ

milk さん、明けましておめでとうございます。

1972年・・・、『おっかの上、ひなげしの花で・・・』と歌いながらサッカーボール蹴ってました。
何故か思い出深い年で、『あっしには、関係ないこってござんす!』とか口癖になっていましたし、椅子から飛び降りながら『笠谷』とか叫んでました。
そうそう一番の想いでは、『コンコルド』が見たくて東京へ行きました。幸い親戚があり『初一人東京』でした。これで味をしめて、この年以降東京へ行かない年がなかったと思います。叔父叔母が第二の両親のようです。特に単身での東京生活では、世話をかけっぱなしでした。
そうそう、milkさんが挙げた曲私も多分全部歌えそうです。小学高学年時の懐かしい曲ばかりです。あと、天地真理『ひとりじゃないの』,ぴんから兄弟『女のみち』,山本リンダ『どうにもとまらない』,『学生街の喫茶店』なんかもこの年ですよネ!
そうそう、『サルビアの花』や上条恒彦の『だれかが風の中で』もありました。長い楊枝をくわえている友人(自分も・・・)の多かったこと!!

今年も楽しみにしています。よろしく!!
by あるべりっひ (2008-01-05 00:59) 

milk_tea

あるべりっひさんコンニチワ!こちらこそ今年も宜しくお願いします。

>『あっしには、関係ないこってござんす!』とか口癖になっていましたし

そうそう、木枯らし紋次郎は大流行でしたね。「誰かが風の中で」本当に
いい曲でした。時代劇なのにああいう現代ふうの主題歌というギャップが
良かったんでしょうね。楊枝があれば絶対誰かが紋次郎やってましたね~

>椅子から飛び降りながら『笠谷』とか叫んでました。

そうだ、冬季オリンピックもその頃でしたもんね。「虹と雪のバラード」聴くと
あの時期のヒンヤリとした空気感や気分の高揚を思い出しますね。

>叔父叔母が第二の両親のようです。特に単身での東京生活では、世話をかけっぱなしでした。

そういう足掛かりがあると青春時代も広がりがあったでしょう~。
イトコだの叔父さんだの、親戚っていうのは人の成長の段階で予想外に
影響を及ぼすものですよね。
なんかやっぱり昔は良かったよな~(いや、ちゃんと今を生きないとね!笑)
by milk_tea (2008-01-05 23:04) 

あけましておめでとうございます
やっぱ、ここいいですねー、濃ゆくて。
私が共感できたのは、浅間山荘にぶつけてた鉄の玉と、吉田拓郎の「元気です」とアグネスチャンのヘアスタイルかな。
(↑邦楽系弱いので上手くコメントできず、、、)
ことしもゆっくりでよいのでよろしくお願いいたします^^
by (2008-01-06 14:08) 

てりぃ

milkさん、明けましておめでとうございます。
更新に気付いたら年が明けてました(笑)。
いいなぁ、カラオケって同世代だけで行くほうが絶対楽しいですよ。
今回挙げていただいた曲目は歌詞さえ見ればほとんどの曲が歌えますね。
1973年と言えば小学3年生の時。僕には2歳上の兄がいたので、
その影響で少し背伸びをして歌謡曲とか聴き始めた頃ですよ。
ちょうどこの時代の明星か平凡の歌本があって、それでよく覚えてたっいうのもありますね。
本年もよろしくお願いします。
by てりぃ (2008-01-06 19:34) 

milk_tea

ayumuさん、ご来訪ありがとうございます。お正月も終わっちゃいましたね。

>浅間山荘にぶつけてた鉄の玉と、吉田拓郎の「元気です」とアグネスチャンのヘアスタイルかな。

私も浅間山荘の記憶はすべてあのデッカイ鉄の玉ですね。
ヘアスタイルは個人的にはアグネスより麻丘めぐみでした。
私も耳のところの髪を短くして麻丘めぐみ風にしたかったのですが、全体に
短いおかっぱだったのでそれ以上短くしようがなかった。
あの頃からロングヘアには絶大なる憧れがありました。(なので今もどうしても
長くしたくなる)
今年も数は少ないと思いますが濃く行こうと思います。宜しくお願いします。
by milk_tea (2008-01-07 23:16) 

milk_tea

てりぃさんいらっしゃいませ!今年も宜しくお願いしますね。

>いいなぁ、カラオケって同世代だけで行くほうが絶対楽しいですよ。

そうなんです。私の場合、ちょっと年上と行くのが最もちょうどいいですね。
若者と行くカラオケ、いやだよな~(そんな機会ほとんどないけど)
無理して大塚愛とか絢香とか歌うのも痛い感じだし、かといって小室哲哉
全盛時代のtrfとか安室ちゃんとか辺りを歌い上げても、遠い昔の歌謡曲より
かえって古臭い感じしそう。
とはいえ、「歌う」という行為は常に楽しいので、誘われたらいつでも喜んで
行きますけど。

>ちょうどこの時代の明星か平凡の歌本があって、それでよく覚えてたっいうのもありますね。

あ、いいなぁ~。私は何故か親から平凡と明星は禁じられていたので、あの
歌本は憧れでした。コードも書いてあったし、あれは良かったですよね。
by milk_tea (2008-01-07 23:21) 

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