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『帰れない二人』 --- 帰らない清志郎のこと [邦楽]

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タイミングを微妙に外しているけれども、忌野清志郎 が先日夭逝し、その悲しみがボディブローの
ように業界をじわじわと覆っているように見える今日この頃。
私は彼の死に2つの事を思った。

ひとつは、K君のこと。
私がハタチくらいの時、高校からの大親友 メグミ に初めての彼氏が出来たのだが
(違うな、2人目かも・・・どうでもいいか)その彼 K君 が筋金入りの清志郎ファンだった。
その心酔ぶりは尋常なものではなく、髪型もファッションも口調も生き方も清志郎を完全に模して
おり、傍目から見たら滑稽なものでしかなかったが、真面目なメグミのどこにそういう要素があった
のか、親友の私でも驚いたほどに彼女は恋人K君にすべて合わせて、ファッションからスピリット
から「ロックンローラーの彼女」に完全になりきっていた。

よく2人でポンコツの軽自動車に乗って(ロッカーは貧乏臭くなければならないゆえに)私の家に
遊びに来るメグミの送迎にマメに付き合ってくれていたが、いつも運転席から照れくさそうに首を
伸ばして「よっmilkちゃん、元気?メグミをヨロシクなぁ・・・」と、言葉少なに笑顔で声をかけて
くれた、優しいK君であった。
彼は大学もロクに行かずに、清志郎のようなミュージシャンになることを夢見て活動していたが
2年くらい付き合ったのち、彼らは割とあっさり別れた。まっとうに生きる女の子には、そんな地に
足つかないフワフワした夢をもった男と人生を共にする勇気なんか、やはりない。私もそれは
仕方ないと思った。その後色々ありつつ、メグミは手堅く職場結婚で有名私大卒の外資系保険会社のサラリーマンと
結ばれて子供を3人ももうけ、今も幸せに暮らしている。
ただ驚いたのは、K君はその後大学をきちんと卒業し、清志郎が所属するレコード会社に自力で
就職を果たして今ではもう立派にそこの幹部職となり、新人ミュージシャンの発掘などを精力的に
行う、いわゆる業界人としてのポジションにあるらしい。

清志郎が死んだと聞いて、メグミに 「K君を思い出しちゃったよ。彼はどうしているかねえ」 と
携帯にメールを書いたら、翌日長い返事が来て、それには

   清志郎の死はあまりにショックで、やはりK君のことを思い、9日の青山斎場に
   もし行ったら彼に会える可能性は限りなく高いから是非とも行ってみようと
   思ってたんだけど、その日は子供のサッカーとか旦那の友達が家に来たり
   して結局行かずに終わったの。
   そこで、つまりは現実の今の生活にそれなりに満足しているのであろう自分に
   気がついたんです。これでいいのです。
   そういうことに改めて気付かせてくれた清志郎の死だった。そして長い時を
   へて、あのときの彼ではなく自分の息子が今
   「♪こんな夜に~おまえに乗れないなんて~!!」とノリノリで歌ってくれるのを
   うれしく聴いている私だよ。

と、ありました。

う~ん。 ( -_-) )) 深いィィ~・・・・

どこまでも明るい性格のメグミのことだから、私のメールへの返事は、きっと
「私も当然思い出したよ。懐かしいなあ」とか、果たまた「今さら何でK君の名前なんか出すの~
milkったらイヤがらせ??」なんて少しふざけたものが来るかと思っていたので、その返しは
少し意外だったと同時に、今や3人の子の母となった彼女の感情面の豊かさというか優しさというか
心のヒダの多さみたいなものに胸を打たれたし、いい友達だよなぁと改めて嬉しく思ったりした。

そしてもうひとつ、私が清志郎の死から思い出したのは、ある想い出の1曲のことだった。

彼の死を伝えるニュースや、その死を悼んでの色々な番組で彼の代表曲が色々流れたが
ほとんどが、しっとりと 「スローバラード」 か、あえて明るめに 「雨上がりの夜空に」 「パパの歌」
「デイドリーム・ビリーバー」 あるいは一世を風靡した 「い・け・な・い・ルージュマジック」 あたりで
まとめていたと思う。
でも、私が彼の曲でダントツにイイと思うのは、井上陽水との共作 『帰れない二人』 だ。
(共作とはいってもあくまで陽水の持ち歌なのだが)

この曲、知っている人は知っているが、知らない人は意外に知らない。(それ当然っちゃ当然)
でも「陽水ではこれが一番」と推す人も多いみたいだ。
彼の伝説的デビューアルバム 『氷の世界』 の中に入っている1曲。ただ私は『氷の世界』は
きちんと聴いた事がないので、アルバムの構成要素としてこの曲を語ることは出来ないの
であるが。

清志郎と陽水がまだ売れる前に、なんと同じアパートに住んでいたという。
当時のある日、陽水が自分の部屋でカレーライスを作って、清志郎を部屋に呼んで一緒に
カレーを食べながら作った曲らしい。(以前何かの番組で陽水がそのエピソードを話していた)

私はこの曲を、22歳の時に知った。
その時付き合っていた3つ年上の彼氏が、ある日のドライブの時にカセットで持ってきて
「この曲本当にいいから聴いてくれ」と言う。私は陽水は特にそれほど好きでもなかったので
最初はピンと来なかったのだけど、夕闇せまる車中で何度も何度も巻き戻しては再生される
『帰れない二人』は徐々に音が膨らみを持って、蒼く美しい夜空の風景が目の前に大きく広がり
出すように感じられて、ドライブの帰り道に差し掛かる頃にはすっかり、胸が詰まって泣きそうに
なるほどの感動を連れて来たのであった。


    思ったよりも…夜露は冷たく…
    二人の声も…震えていました…
    Ah Ah Ah....

    「僕は君を…」と言いかけた時…
    街の灯が…消えました


もろくて壊れやすい青春の1シーン。
ただ、こうして改めて歌詞を見ると、実はそんなに悲しみを呼ぶようなものでもない。
そしてメロディも確実にメジャーのバラードであって、泣かせようともしていない。
でもそれなのにこの曲は淋しい。むしょうに悲しくなる何かがあるのだ。

メロディにも歌詞にも、おそらくたくさんの「行間」を作り出すことに成功している曲と言えると
思う。あっさりした情景描写やゆったりとしたメロディの中に自己解釈で埋めていくことが可能な
多くのスペースを残している。そこに入れ込む感情は人によって悲しさだったり安らぎだったり、
熱かったり涼やかだったりするのだろう。
こういう奥行きのある曲を作り出す事が出来るっていうのはやっぱり、生きることの何たるかを
わかっている、人間性の豊かな人物に違いない。

この曲は当然陽水が歌っているものがほとんどであるが、清志郎もちょいちょい歌っている。
youtubeなど見ると、ライブで2人が一緒にこれを歌っている映像もいくつか見ることができる。

陽水の美声による甘くやるせないヴォイシングとは違い、清志郎のこれの歌い方はあくまでも
子供のように朴訥で飾り気がない。歌もどちらかというと (いや確実に) ヘタである。
ただ、清志郎が歌っているバージョンを聴くと、「ああこれは確実に清志郎がつくった曲だ。
陽水とカレーライスの皿をつつきながら一緒につくったって感じだワ~」と妙に納得するしかない
ハマリ感がある。そのくらい、彼の代表曲のいずれにも見ることの出来る独特の素朴で率直な
音楽観が、陽水にあげたこの曲にも確実に投影されているからだ。

Aメロの歌い始めからいきなり 「思ったよりも 夜露は冷たく」 と切り出すちょっとした歌詞の
唐突さも、陽水のなめらかな甘い歌声で聴くと「えっ?何?」と不思議な引っ掛かり感があり
そこがこの曲の大きな魅力でもあるのだが、一方清志郎が振り絞るような声で発する
「思ったよりも 夜露は冷たく」には一切無理がない。
何の状況説明もなく、いきなりピンポイントに「夜露が冷たかった」の説明から入ることに何の
違和感も覚えさせないのは、まさに清志郎の歌の語り部としての表現力の豊かさであり、そして
一人の人間としてのキャパの大きさ、懐の深さでもある。
これは、上記であげた清志郎の代表曲 『スローバラード』 の歌い出しの歌詞
 
   ♪ 昨--日は 車の--- 中で--  寝た

などにも同様のエッセンスが垣間見られる。
この歌詞の中で、"彼女と朝まで車の中で寝た" 状況は淡々と綴られてはいるが、それで
特に嬉しかったとも悲しかったとも言っていないし、最終的にそれがどういう結果へ導かれて
いったのかも明確には分からないままで、その情景をどのように感じ取るかは結局、聴く側に
委ねているようなところがある。 やはり「行間」なのだ。

最近のJ-POPのバラードのパターンで「帰れない二人」の歌い出しに歌詞をつけたとしたら
「♪今日であなたに 会えなくなるけど 忘れはしないわ 勇気をくれたね」 みたいに、
ハンパに個人感情と生き方指南を盛り込んだような歌詞になりがち。聴く側のレベルも落ちて
いるから、そうやって親切にガイドしていかないと泣いてももらえないということかもしれない。

とはいえ、あれこれ涙を誘う言葉を散りばめることなく
「夜露が冷たくて声が震えていた。あぁぁ~」 という、一見中身のない状況説明だけで
人をさめざめ泣かせてこそ一流ミュージシャンと私は思うし、聴くほうの我々だって、言葉や
メロディの合間合間に見え隠れする "何か" を拾おうとする感受性や人間としての幅を身に
つけて、音楽というものにもっと敬意をもって当たらないといけないと私は思うのだ。
手軽にダウンロードしまくって雑に聴き流して、一部を切り出して着メロにして終わりって
いうのではあまりに悲しい。(だんだん話の方向性がおかしくなってきた)

清志郎の音楽をそれほど知らない私でも、その人生観や音楽哲学の一端をこの行間にあふれた
名曲ひとつから、拾い出す事が出来る。音楽というものは、かくも素晴らしい自己表現ツール
なのであった。

メロディとしてこの曲のいいところは、私はやっぱり歌い出し。
D ⇒ D/C# ⇒ Bm ⇒ Bm/A ⇒ G ⇒ A ⇒ D という下降のベースラインが単純に
美しい。個人的にはこの曲の良さの80%はここに集中している。(コード合ってるか自信なし)

それと、中盤 「僕は君を、と 言いかけた時」 のところで、「君を、と」 までは Em7⇒DM7
ときて何とも美しい 7th 的メロウな流れに乗っているところ、いきなり「言いかけた時」で
D ⇒ E ⇒ A と、ちょっとアホみたいになる。D がいけない。Bなら良かったのだろうか。
ちょっと近くにピアノがなくて確認できないのだが。

この感じを何か他で例えると・・・まだ2回目くらいのデートで映画・食事と終えて公園のベンチ
でポツポツとお話をし、何だかいいムードになってきたかなぁ・・・・と思った瞬間、彼が
「ほんじゃ、遅いし帰ろうかっ」といきなり腰を上げた意外さ、みたいな感じか(笑)
「あ、そ、そうなんだ。うん、もちろんそれでいいんだけどね・・・そう来るんだ、あっそう・・」
と何かズッコけながらも否定できない感じ。
でもこの真っ直ぐDに行く純朴さ、てらいと飾り気のなさが、まさに清志郎。 許す。

この天使のような純朴さが、人よりずいぶん早くに天からお呼びがかかることになってしまった
のか。清志郎は50代でこの世を去ってしまった。
もともと大してファンなわけでもないので、私としては結びに湿っぽいセリフは特に出てこないけど
この人の 「一流」 感は今あらためて、十二分に感じることが出来ている。
「ありのまま」であることは永遠に美しい。


  -----------------------(本文ここまで)-------------------------


          [るんるん]        [るんるん]       [るんるん]


 ※歌詞を引用したことでJASRACからの申し出により記事が削除されてしまったので
  今回、記事を修正して再度アップし直しました。
  過去のコメント欄だけここに転記します。
  画像(JPEG)で貼っておりますので、続きでコメントを戴ける場合は、
  通常のコメント欄のほうでお願いいたします。


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茶坊主

milk_teaさんの語り口調の大ファンで、ブックマークしてしょっちゅう読んでいる者です。
先週、帰れない二人をたまたま歯医者で聴いたんです。
何か、チンチロリン的な音がメロディを奏でるBGM音源みたいでした。
「このメロディ何だろう???」、治療のため大きく口をあけながら、しばらくぼんやりと考えて「あ!井上陽水の帰れない二人じゃないか」と気付き、帰って色々調べていたら、なんとまたmilk_teaさんのブログにたどりついたという。
灯台もと暗しみたいな。どれだけ触手を伸ばしているのだ、このブログ。

で、よく読んで、またつくづく納得。
「思ったよりもー」から始まる歌詞がフックになって印象に残るという話。これを清志郎が歌うと、こんどは妙にしっくりくるという話。
本当にそうだなと。
milkさんの感受性の高さが静電気みたいにビンビン伝わってきました。
これからももっと色々書いていただきたいです。
by 茶坊主 (2017-03-13 13:38) 

milk_tea

茶坊主さん、はじめまして。いつも読んでいただいているということで、コメントもいただきどうもありがとうございます。

>先週、帰れない二人をたまたま歯医者で聴いたんです。
>何か、チンチロリン的な音がメロディを奏でるBGM音源みたいでした。

あ、その感じ何となく分かります、私がたまに行く歯医者さんもJ-POPをオルゴールにしたものをBGMで流してますね。Superflyの「愛を込めて花束を」とか。
チンチロリン的な音というと、オルゴールとはまた少しちがいそうですが。

このコメントをいただいて、改めて自分の記事を読み返して、Youtubeでもまた「帰れない二人」を色々見てみました。うーん、やっぱり名曲!!!

>「思ったよりもー」から始まる歌詞がフックになって印象に残るという話。

手前味噌ですが、今聴いてもやはりこの曲の焦点はここだと思います。
「思ったよりも夜露は冷たく 二人の声も震えていました」 の4小節に尽きる!
この、あーだこーだ言わずに行間をたくさん設けて、聴く人がそれぞれに解釈してその空気感を感じ取ればいいとしている懐の深さですね。ここまで少ない言葉数で、温度や湿度までを投げ掛けてくる曲も珍しいです。本当に美しい曲ですね~。
そしてまた、井上陽水の歌唱が本当に素晴らしい!
「氷の世界」が発売された時って、ものすごい衝撃があったことでしょうね。
天才現るっていう感じだったんだろうなあ。
ここまで圧倒的な迫力のあるシンガーってやっぱり今なかなか出てこないですね。
茶坊主さん、これからも引き続き宜しくお願いいたします^^
by milk_tea (2017-03-14 00:30) 

茶坊主

ありがとうございます。
確かに言葉数がえらい少ない。しまいには、二人の声が震えていたあとには、アーアーアーアーアーアーだけですからね(笑)
状況もっと説明してくれよ!みたいな。
上のコメントの方でmilk_teaさんが、実は帰れないニ人とはキヨシローと陽水のことで、「(一曲書き上げないと家に)帰れない二人」って。すごい笑いました。
あまりに曲が出来ないから2人でスタジオの外に出て寒い中、タバコ吸いながら語り合っていたのかもしれないですね(笑)
しかし、何故「二人の声も」であって「二人の声は」ではないのか。何に対する「も」なのか。色々考えると楽しめます。これぞ行間?
by 茶坊主 (2017-03-15 18:50) 

milk_tea

茶坊主さん、再びおそれ入ります。遅くなってしまいました。

>二人の声が震えていたあとには、アーアーアーアーアーアーだけですからね(笑)

確かに。歌の前半、まだ状況をほとんど伝えてないのにアーアーですもんね。
でもそのアーアーの部分が7thの響きで非常に美しい。言葉であれこれ言わずとも、いや、言葉がないからこそ、情感的に沁みてくる箇所ですね。

>実は帰れないニ人とはキヨシローと陽水のことで、「(一曲書き上げないと家に)帰れない二人」って。すごい笑いました。

そんなこと書いてましたっけ。確かにちょっと面白い(笑)
でもそうではないにしても、この歌詞に辿り着いた何か具体的な場面設定がきっとあるんでしょうね。

>何故「二人の声も」であって「二人の声は」ではないのか。何に対する「も」なのか

これはもう俳句作りの世界ですよね。
例えば「二人の声"が"(震えていました)」だと、映像的にはこの2人がドアップになっていて背景も入っていないぐらい。でも「二人の声"は"」だと、もう少し映像が引いた絵になってきて、バランス良く周囲の景色も含まれている感じ。
そしてこれが「二人の声"も"」となると、二人の存在感はもっと薄く、高台の風景や遠い街明かり、凛とした夜更けの空気感などもセットで感じられるようになってきますよね。風景に溶け込んでくるというか。
声「も」になるだけで、この二人の若さというか頼りなさというか、はかなげな感じもじんわりと伝わってくるのは不思議ですね。

このように、助詞の選び方ひとつでも味わいがかなり違ってくる。最近「プレバト!」っていう番組がやってますが、そこで夏井先生っていう俳句の先生が、芸能人がつくった俳句を論評するんですが、よくこういう助詞の選び方についても色々語ってますけど、まさにその世界ですよね。

それにしても結局この主人公は彼女にちゃんと告白もできないまま、いつしか夜明けが来ちゃうって本当にウブくて可愛い男女ですよね。せっかく朝まで一緒に居るのに。
その辺りの不器用さ、生真面目な感じはやっぱり忌野清志郎。さすがですね。
茶坊主さんがこの記事にコメントをくださってから、ずーっと頭の中を「帰れない二人」がぐるぐる回って、1週間くらい小声でずっと歌ってたんですよ。
つくづく良い曲。コメントありがとうございました。
by milk_tea (2017-03-25 22:14) 

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