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自分史 最終編 [自分史]

        

いよいよ自分史シリーズも今日で終わりです。ずいぶん長くかかってしまった。

●会社員時代 そして今へ
30社も受けてたった1社だけ受かり、ウンもスンもなく入った会社だったが、その割にはどうも自分の真実の「らしさ」が発揮できる実はとても相性のいい会社だったようで、こればっかりは本当にラッキーだったと思う。
会社員になってからは色々な事がバランス良く回り出してとても恵まれていたが、今思えば最も私にとって貴重だったことは、それまでの人生では1人として出会えなかった、『音楽で一緒に共感して手に手を取り合える人』 に初めて出会えたことだと思う。

その最初にして最大の人は同期の1人の男子だったが、音楽の趣味が合ったというよりも、彼の守備範囲のほんの2-3%が私の守備範囲のほぼ全般をカバーしていたという感じで、すなわち私よりずっと高いステージに居ながら、懇切丁寧に奥行きある音楽世界に私を指南してくれる誠にありがたい人だったのだ。

『Still Life』しか聴いた事がなかった Pat Metheny の奥深い世界に私をいざなってくれたのも彼である。彼自身はフュージョン系ギタリストだったが、ジャズ、ロック、ポップスなど国内外問わずかなり幅広く色々聴いていて、持っているCDの山が一人暮らしの寮の部屋を完全に埋め尽くしていて寝る場所もないくらいだった。
そんな中から彼はありがたいことに、オススメのCDを4-5枚ずつピックアップしては、解説まで丁寧に手書きでしたためて定期的に私に貸してくれた。
基本的に私は、「人の薦めには従う(=口コミに弱い)」従順なところがあり、第一かつて誰も私に強く「これを聴いてみろ、スゴイぞ」なんておせっかいにも熱く語ってくれる、かつ趣味レベルの高い人なんて全く居なかったので「これは絶対にいいんだ。最後の曲で絶対泣くぞ。」なんて言われると、「うわっ本当だ。スゴイ。ジ~ン・・・」なんていちいち素直に感動していた。

彼のエライところは、Steely Dan の音楽性なんかを熱く語る一方で、つい昨日発売の正体不明の英国ポップバンドのアルバムなんかも迷わず買ってみて、ちゃんと良いところが見つけられるというキャパの広さというか、よけいな敷居を設けないようなところである。
私も俗っぽい部分も多分に持ち合わせているので、彼が私に提供するセレクションは、どれもだいたい自分のストライクゾーンに入った。

例えばPat Metheny の Falcon and the Snowman なんかは、かなりの駄作映画のサントラ盤らしいのだが(私は映画を見てない)、その映画の内容のひどさ(ワケわからなさ)に対してパットとライルメイズの取り組みの無意味なまでの真摯さ、味わいみたいなのを切々と大学ノートに書いてラフに破り取り、CDやテープに必ず添えてくれる。彼は映画もよく見ているし、heavyなまでの読書家でもあるので、その洞察は哲学的ですらあり私はいつも真剣に読んで、聴いた。
また、実際に彼とは相当数、一緒に色々なライブに行ったりもした。今まで全く近づいたことがなかったチック・コリアを教えてくれたのも彼である。

ところで、ここまで書くと私と彼は恋人だったかのようである。
でも全然違った。
少なくとも私には彼に対する尊敬と信頼の気持ちはあふれるほどにあれど、そういう甘い気持ちは微塵も持っていなかった。彼のほうはもしかすると違ったのかもしれないが、でも一度も告白めいたことを
言われたこともないし、お互いの個人的なことを話題にしたこともほとんどなかった。
(だいたい、その頃も私には平行して必ず彼氏がいた。もちろんそれを彼に言ったこともないが)

今考えても、ああいう関係もあるもんなんだなあと思う。
しかし・・・・・・・あの優しさをちゃんと心で受け止め、具体的に気持ちとして返すのが実は私の役目であり、彼も本当はそれを望んでいたのではないか?と今では心の隅で思ったりする。
いや、その時も少し気付いていたのかもしれない。私もずるかった。

そういう意味では、よく「恋愛と結婚はベツモノ」なんていう言い方をするけれども
恋愛と趣味もまたベツモノ、と私も割り切っていたのかもしれない。

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安定→逆風の大学時代 Ⅲ [自分史]


              


改めて自分の軌跡をこうして振り返るとしみじみ、けっこうつまらない人生だったなと半生を振り返りかけてしまうが、それはそれとして。ようやく大学時代最後の章へとたどりつきました。

●大学時代 Ⅲ
昨日も書いたが、私が大学卒業までバイトしていたVIVREの7階クレジットカウンターは家電売場の隣、しかもオーディオコーナーの真ん前だったので、一日中色々なデモテープがかかっていた。
Pat Metheny との出会いも実はかなり遅く、ここでであった。

誰の趣味だったのか「Last Train Home」がデモテープから繰り返し流れていて、聴くたびに「世界の車窓から」の映像みたいに、初夏の自然の中を汽車に揺られて窓から風を受けて景色を眺めている気分で清々しく聴いていた。今なおPatの数あるアルバムの中でも「Stil Life」は1番か2番に好き。

ところで、私の人生において初めて本腰を入れて(?)きちんとお付き合いをしたのが、やはりこのVIVREでのバイト先で出会ったSさんである。彼はSONYから派遣されてきていたヘルパーで私より1学年上の青学の3年生だった。

実は今回のパターンも特に自分から好きになって付き合ったわけではなく告白されて何となくだったので、最初は迷いも大きかったものの、この彼と知りあって初めて「異性とのお付き合い」というものの在り方というか精神性のようなものを真に理解した気がした。
今の自分だけでなく、明日の自分、そして何故か昨日までの自分をも提示して、全てを共有することが「お付き合い」というものなのであった。
今までずっと1人で広い場所に立ちつくして淋しく過ごしてきた感があり、笑顔を作ることさえ何となく苦手だったのに、その彼は最初から私の口の両端に遠慮なしに指をあてがって
「君は絶対笑ってるほうが可愛いよ。明日笑ってる写真を撮りにどこか遊びに行こうか?」
などと言って、背中に羽をつけて私を高く飛ばしてくれるような画期的に明るい人だった。

しかし不幸にもその彼もまた、特に音楽に造詣は深くなかった。
真新しい白いセリカに乗っていたが、車内に積んであったカセットは、杏里とか松田聖子とかユーミンとか井上陽水とか、せいぜい頑張ってグローバーワシントンJr.どまりだった。(しかもやっぱりワインライトだけ・・・)
まあ、でも当時のバブル絶頂期に向けて浮かれ始めていた世の中の空気には、家でジットリとジョンレノンを聴いてるよりは、新車のセリカで海沿いを飛ばして杏里のベストアルバムを流しているほうがハマっては居た。

このお気楽ハッピームードは、4年の夏に就職活動を本格的に始めるあたりまで続いた。
彼氏は1つ上だったので、一足先に就職し今までのようにいつでも会えるような状況ではなくなったが、私も早く良いところに就職を決めて2、3年働いたら、この彼か、あるいは入った会社で新たに知り合った将来有望な男性と手堅く結婚でもするかなぁ~といった安易な目算をたてて、名のある会社ばかり軒並み試験を受け始めた。

ところが世の中そう甘くはなく・・・受ける会社受ける会社、見事に全て落ちた。

就職試験というものは残酷で、受かった人にだけ電話が来る。携帯などない時代だから、本命の会社を受けた翌日などはとにかく朝から晩まで家の電話機の前でじっとスタンバイしていないといけない。
待てど暮らせど来ぬ電話・・・・これはもうまさに演歌みたいな世界で、心身ともにドマイナー状態に追い込まれる。経験した者でなくてはわからない苦しみ。

面接ののち不合格になるということは自分という人間が受け入れられなかったということであり、真っ直ぐに自己否定につながり今まで多少なりとも持っていた自信や希望のようなものが木っ端みじんに打ち壊される種のものだった。

そんな中で、30社くらい全て落ちまくった中ひとつだけ受かった会社・・・それが今も居る会社であるが、ここは何を隠そう、その彼の会社の競合他社であった。最初受ける時に彼に
「彼氏がX社なのに、その彼女がY社を受けるかねぇ。ありえないよ」と全面否定されたので、ふざけてシャレで受けた会社であった。
いざその会社に入社が決まると彼は相当不服そうだったが、「まあ、でもいいよ。1,2年勤めたら結婚退社すればいいんだよね。」 と納得しているようだった。
こんなふうにして私の大学生活も終わった。

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いっぱしの青春・・・大学時代 Ⅱ [自分史]

ブログstartのまず第1歩として、音楽と自分史を絡めて語り、今後展開しようとする音楽論の基礎づくりをしようとしたわけだけど、気付けば単なるつまらない恋愛史の様相を呈してきた感じ。

でも思えばそれも仕方がない。私の音楽世界の積み上げには、周囲の人間がかかわることがほとんどなかったからだ。常に独りで黙々とサーチし、見つけ出し、掘り下げて、蓄積していったのみだ。

自分の過去の軌跡を振り返ってみたところで、およそ大した青春時代じゃなかったことが明白になるばかりで、じゃあ自分史なんてよせばいいのだけど、乗りかかった船なので一応最後まで行ってみる。

●大学時代 Ⅱ
人に、あるいは女性に「旬」という時期があるとしたら私の場合この21歳になった辺りだったと思う。
旬の野菜が水をはじいてツヤツヤと輝いているように、その頃の私も赤くなりたてのフレッシュトマトのようだった。(というか、青く固い小さな実の時代があまりに長すぎた。青いまま腐っていくような予感に常にさいなまれていたので、この変化は衝撃的だった)

サークルの後輩の男の子に軽い感じで告白され適当にデートなどしていたが、その一方で、同じくそのクラブにいて1年の時から同じ仏語専攻でずっと同性の友人のような付き合いをしていた同級生のE君と、夏前あたりから急激に距離が近くなった。

彼はうちの大学では数少ない、ノーブルな雰囲気のある人で、例えていえば、ブルーノートの片隅で黒のタートルネックのセーター姿でじっとジャズのライブに聴き入っているインテリ大学生みたいな雰囲気で、顔もけっこう端正だった。
彼は横浜元町の貸レコード屋でバイトしていて、私がたまに会いに店に行くと、タバコをくゆらしながら、何かよくわからないプログレ方面の難しげなアルバムジャケットを眺めながらカウンターに座っていたりして、なかなか絵になる男だった。

私の不幸だったところは、若い時代において、確かに音楽に深く精通し似たような情熱を持つ人との出会いがちょくちょく訪れながらも、常に好むジャンルや世界が微妙~に違っていて、誰ひとりとも深く濃くそれを共有することが出来なかったことである。

E君にしても、貸レコード屋でバイトするくらいだし常にウォークマンを耳に、頭を小さくゆすっているような音楽大好き少年だったわけだが、彼が一体どういうジャンルを聴いていたのか、今思い出してみても全くもって1人のアーティストすら思い出せないほどに、私とは趣味がかぶらなかった。

その人と明らかに彼氏・彼女っぽくなってきてから1ヶ月ほどで、彼のアパートに出入りする雰囲気になってきたが、彼が新しいパイプベッドを購入し、その納品に一緒に立会い、2人でベッドのマットレスのビニールを笑いながらベリベリはがした、かなり何かがありそうなその夜、突然彼は私にこう言ったのである。
「実は先に君に言っておかないといけないことがある。君の前に付き合ってる人が居た」 
まあ私も軽くショックを受けつつも、"そりゃあそのくらい居たでしょうね" と答えると、
「それが・・・女の子じゃないんだよ。ごめん・・・でも今君のことは本当に好きなんだ」

そう、彼はいわゆるゲイだったのである・・・(バイということになろうか?)
その場では"ふ、ふぅ~ん・・"と薄笑いで聞いていたけど、私としてもどうしたらいいのかわからず、結局それから関係がギクシャクしてしまって、そこから1か月も経たないうちに別れた。今の私ならもう少し上手く立ち回れたと思うけど、まだ人生経験もゼロに等しかった幼稚な私にそんな大きな荷物は持ちきれず、あとずさりして逃げてしまったのだった。

なかなか上手くいかないもんだなぁと黄昏れつつも、それほど凹んだり荒れたりすることもなくのんきに日々過ごしていた。その頃、VIVREでクレジットローンの受付と身元調査などをするアルバイトをしていたのだが、私が座っているカウンターの真上の階にライブハウスがあり、毎晩色々なアマチュアバンドがライブをやっていた。
そのうち、そこでは結構人気だったサイレンズとかいうロックバンドのボーカル君が、何かと私のところに立ち寄ってはしゃべっていくようになり、ある時、彼のバンド曲のカセットテープをそっと手渡されて「作詞作曲、オレだから。特に2曲目、オレの気持ちと思って聴いてみて」みたいなことを囁かれた。
彼はボーカルを張るだけあって顔もアイドル顔をしていて悪い感じじゃなかったので、取り合えず喜んで受け取った。

が、しかし、家でそのテープを聴いてみたところ、何ともシャラ臭い曲ばかりだった。
メロディも安易なら歌もひどいし、何よりなんでこう素人の作る詞って薄っぺらいんだろう。
間違ってこういう曲調のラブソングなんかを Just for you! なんてプレゼントされたりしたら絶対笑顔がひきつってしまう。音楽に貴賤はないかもしれないが、それにしてもひどい。
1本聴き通す前にすっかりゲンナリして、彼とそれ以上懇意になることはきっぱり辞めた。
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一気に冬から夏!大学時代 Ⅰ [自分史]

              

それにしても、高校くらいまでは自分史とは言え、もはや遠い過去すぎて別の人格のようで、何を書いてもどうってことないが、さすがに大学くらいになってくると何かあらゆる経験の全てが今に脈々と繋がっている感じもあり、妙に恥ずかしいものである。

さて、あと2回くらいで自分史も終わりです。

●大学時代 Ⅰ
大学に入り周囲の人間も一新したことだし、自分自身もっと変わりたい!と思った私は、当時隆盛のテニスサークルに入り、皆でチャラチャラとお揃いのチームトレーナーを着てキャンパスを闊歩し始めた。
聴く音楽もチャラチャラした友達たちに合わせてサザン、稲垣潤一、ユーミン(決して荒井由実時代ではなく)、山下達郎などを一生懸命聴いていた。
一方、英文科のクラスで仲良くなった女友達2人はなぜか共通して「U2」のファンだった。ファンというか、あれは完全なる「マニア」の世界。私はよく知らないが、U2はイギリス(アイルランド)系ロックでやや特殊なポジションにあり、1,2枚アルバムを借りてみたけど、ちょっと私の世界ではなく、不思議なほどハマらなかった。
その2人は本当に熱狂的ファンで、やがて2人で暮らし始めたりして、同じ「洋楽好き」だけでは繋がりきれず、やがて私とはちょっと距離が出来てしまった。今思えばあの二人はちょっとヤバイ関係だったのではないだろうか?

ところで、大学できわめて軟弱な生活を送っては居ても、なぜか校内で好きになれる異性には全く出会えず、逆に今さらながら高校時代の3年間ずっと好きだった例の彼のことが忘れられずにいたところ、その彼の親友K池君が私の家の近所に住んでいたこともあり、K池君に会うついでか、彼がちょくちょく現れるようになって、いつのまにやら私と彼はたまに会ってはドライブや食事に行ったりするようになっていた。
そのころの彼に彼女がいたのかどうかは知らないが、そんなふうにズルズルと1年ほど付かず離れずしていたけれど、そんな楽しい時も束の間、大学2年の初め頃、また改めて手ひどくフラれた。
「やっぱりどうしても友達以上に思えない。ホントにごめん」などと言って、こんどこそ本当に私のもとを去って行った。
同じ男に2度も冷たくフラれて心底ボロボロになり、涙も枯れ果てたあとに、ある境地に辿り着いた。男は決して追いかけてはいけない生き物なのだ、と。もう二度と男に振り回されたりしない・・・私はそこで星に誓った。

人間とは不思議なもので、そこである「悟り」を開いた途端に何故か人生は別の方向に転がり始めた。
いきなり、妙にモテはじめたのである。
「あれ?何だか風が変わってきたな・・」とハッキリと自覚したのが、2年の6月頃、特に好意も感じていないH本クンと、渋谷に向かう東横線の横浜駅ホームに2人並んで立っている時だった。
H本クンがウォークマンのイヤホンを片方私に差し出してくれ、それを笑いながら耳にそっと挿すと、KUWATA BAND の「Ban Ban Ban」のイントロがドカーンと脳天を突き抜けた。

振り向くと彼が「今日これからどこ行こうか?」などと媚びた声で語りかけてきて、それに適当に答えながら、なんか久々に私にも色々いいことが待ってるような予感で胸がいっぱいになった。
Ban Ban Ban をBGMにホームから垣間見える空を見上げると、夏雲がもくもくと上空に涌いていた。(なぜかその時の風景は忘れられない)

そう。大きな窓のカーテンを一気に開けるかのように、まぶしい夏がやってきたのだった。
その年にも、そして私の人生にも。
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混迷の高校時代 Ⅲ [自分史]

             

私の人生において、相当あとあとまで精神的に暗い影をひきずった高校時代後期。
音楽的意味はどうであれ、これはやはり書いておかなければならない。

●高校時代 Ⅲ
高2の秋についに片思いが成就、人生の絶頂期を迎えたかに見えた私だったが、楽しい日々はそう続かなかった。私も人生初のちゃんとした男女交際で一体何をどうしていいものやら、常に緊張がつきまといちっとも上手く付き合えなかった。本当の自分など1%も出せないうちに5ヶ月ほどで自然消滅に近い形で幕を閉じた。(単にフラれたのだが。)

とはいえまだまだ未練たらたらだった私は、自然消滅を自覚しながらも、彼からもらった小さなヨットの形のネックレスを毎日大事に首から提げていた。
ある日、授業が終わって、いつもとは少し違う時間に1人学校から駅までの道を一人でポツポツ歩いていたら、20mくらい前の橋の上を、その彼と同じクラスのKちゃんが2人手をつないで楽しく小突きあいながら歩いているのを目撃した。
ああ、そういうことだったのかと今さらながら静かに全てを悟り、その場で首のネックレスをひきちぎって橋の上から川に捨てた。
その後、冷静に思い返すと、その数週間前の4月15日それは私の18才の誕生日であり、かつ東京ディズニーランドが日本で初めてOPENした記念すべき日だったが、2人はその日学校を休んでいたのを思い出した。
2人は学校をサボってディズニーランドデートをしていたのだった。元カノの誕生日の日にだ。
(ちなみに、その頃「元カノ」なんていうお手軽で楽しげな略称は存在していない)
こうして私はきれいさっぱりフラれた。(音楽の話は?というツッコミは無しでお願い)

恋を失い、ふと我に返ると周囲はいつからか受験モード一色だった。そうだった。高3になっていたのだった。大学受験までもう1年を切っている。
私はいきなり勉強をし始めた。夜9時になるとラジオをつけてFMで色々な洋楽を聴いたり、ニッポン放送のくだらないタレントのしゃべりなど聴きながら毎日遅くまで机に向かっていた。
その頃にはまた前のように色々なアーティストの音楽を聴きまくっていたが、特にハマって聴いていたのがソロになってからのJohn Lennonや、邦楽では何故か大貫妙子にドップリと行きだした。どちらも到底、明るい方向性とは言いがたい。要はやっぱり私の心は深く黄昏ていたのだと思う。

大貫妙子は、彼女本人はもちろんのこと、バックを取り囲む面々が日本のポップス黎明期を支えてきた重鎮ばかりなので作品群はどれも素晴らしかった。ヨーロッパの裏通りの古い石畳を降り始めの雨が濡らすような、ロマンチックだが淋しいような、懐かしい感じがするが初めて触れたようなサウンドで、どのアルバムも本当に擦り切れるほど聴いたものだった。

とにかくもう、カセットデッキやラジオから流れるたくさんのお気に入りの曲をお供にただ、ただ勉強する日々が受験まで続いた。

そういえば1月15日の共通一次試験の前日の夕方、もう春から口を聞いた事もなかったI藤くんから突然電話があった。
「明日だろ?(彼は私立専門コースだった)君は一生懸命頑張ってきたから絶対大丈夫だよ」
大切な試験の前日にボクから電話があれば嬉しくて頑張れるだろう、といまだ思っているらしい彼の身勝手さとエセの優しさに脱力しながらも、言葉少なにお礼を言って冷淡に受話器を置いた。
アホかっ、と心で毒づきながら部屋に戻ったあと、思いとうらはらに涙がドバドバと出て仕方がなかった。

3月、無事に某国公立大学に合格し、気楽になった春休みは「くそー大学に入ったら、こんどこそ明るく楽しい女子大生生活するんだー!」と自分に気合を入れつつ、またもやレンタルレコード屋に通いつめていた。こんどはWINGSなどにハマってみた。ポールはどこまでも明るい。
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混迷の高校時代 Ⅱ [自分史]

             

早く自分の音楽の歴史を全部書いてしまわないと、毎日の気楽な書き込みモードに入れないので、気がせく・・・。
ということで今日は、高校時代中期。

●高校時代 Ⅱ

高1の秋口あたりから、通学路の途中にあるハンバーガーショップ "〇ッテリア" で、部活のない日だけアルバイトを始めた。ここではBGMでずっとBest Hit USA 系の洋楽ヒットチャートが終日流れていてノリよく仕事もでき楽しかった。
今も、オリビア・ニュートンジョンの Physical なんかを耳にすると、店員達の元気な声や男子高校生客のうるさいしゃべり、安っぽい油の匂いなどがまざまざと脳内に再現される。
   
そのショップで、当時の和洋の人気アルバムのジャケットをそのまま5cm角くらいに縮小再現したものに、レコード型の薄いチョコレートが入っているというシャレたオマケを提供していた。
どんなラインナップがあったか記憶が定かでないが、中にユーミンの「Surf & Snow」があって、50'sっぽい絵柄で若い男女がキスしているジャケ写が目を引いた。
ちょっと聴いてみるか、と思ってレコードレンタルショップ「友&愛」に寄って借りてきた。
これが私とユーミンとの出会い。(かなり遅いわけだ。)

そんな折、小学校時代は好きな男の子もいて両思いになりかけたり楽しく過ごしていたが中学時代には明確な形を持った恋愛をし損ねてくすんでいた私に、ひさかたぶりの春がこのころやってきた。
昨日ここでも話した、入学してすぐ隣り合わせた真田広之似の彼のことが月を経るごとに頭を覆ってきて高2に上がる頃には恋心で頭グルグルになってきたが、そういう状態の時にビートルズのリボルバーなど聴きこんで「うーん、Tomorrow Never Knowsの逆回転、最高!」なんて唸っている女の子はそう居ない。(相手が同じビートルズファンなら別だが)

ご多聞に漏れず、恋する女の子らしくユーミンとか稲垣潤一とか、オフコースまでも聴き出した。
オフコースは部活仲間ののぞみちゃんが熱狂的オフコースファンだったので、私も聴こうかな?と一言言ったら、次々とカセットテープに録ってきてくれた。
オフコースは基本的にはビートルズマインドを出発点としているので、これが意外に良かったりもした。何しろ心の中が雲母片のように繊細で、彼の一挙手一投足で泣いたり笑ったりしていたから、難しいものよりもシンプルに愛や恋を歌った曲が気分にハマった。

ユーミンはすべてレンタルレコード屋で順に借りてきてカセットに録って聴いた。
サーフ&スノウを起点に新しいアルバムを追いかけ、過去にもさかのぼって全てのアルバムを聴き倒した。真の意味において「聴き倒した」まで言えるのはビートルズとユーミンとCharくらいかもしれない。
この3つなら、ドレミファドンの超ウルトライントロクイズでどの曲が来ても誰よりも早く正解が出せるのではないかと思う。

さて、一念岩をも通すのことわざ通り、想いというものは伝わるもので、高2の秋くらいから。その憧れの彼と付き合うこととなった。(修学旅行がキッカケ。ありがち~)
彼は音楽にはそれほど造詣は深くなかったため、私の音楽探求の旅も小休止ってところで、「恋人はサンタクロース」を聴きながら彼からの電話を待つ・・などと言った、アホアホ最前線な時期を満喫していた。
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混迷の高校時代 Ⅰ [自分史]

    

私は、わりと何でも3日坊主で終わりやすいタチだけど、今日はまさにその3日目なので、取り合えず最低ラインは押さえた!・・・ということで、今後とも気楽な気持ちで末長く書いていこうと思う次第。

さて、小学生・中学生と私の音楽との軌跡について書いてまいりましたが、今日は高校時代です。前期 中期 後期に分かれます。今日は前期。

●高校時代 Ⅰ
高校に入学してまだ友達もそんなに出来てない4月の初め頃、休み時間に自分の席でビートルズの特集雑誌(BBC発行の公式モノ)をパラパラ見ていたら、隣に座っていたI藤くんが私の手元を覗き込んで
「それ何の本?」というので「あー・・・、ビートルズの本なの。好きなので。」と言ったら、彼が「あー外人かーー」といって、興味なさそうにスッと席を立って行ってしまった。

彼はバスケ部員で無邪気な笑顔がステキな真田広之似のハンサムで目立つ存在だったが、その彼に軽く拒絶された瞬間に、中3の時親友の小百合ちゃんに対してあきらめの気持を抱いたのと全く同じ感情で「あーこれは良くないかも。16才の女の子が席でビートルズのディスコグラフィとか読みふけってたら、ヤッパ明るい青春はないかも」と感じ入り、その後、書は捨てて?外へ出た。
好きな音楽を聴くのは家だけにして、学校では女友達たちと「しぶガキ隊だったら絶対モッくん♪」とかハシャギながら(実際モッくんはカッコ良かったんで、案外好きだった)明朗快活・無邪気な16才を過ごしていた。

とはいえ、高1の夏休みに気まぐれでやることにした家の近くの市営プールの監視員のアルバイトの勤務時間中は、眺めのいい背の高い監視台に腰掛けながら、一日中瞑想にふけりつつビートルズの White Album を頭の中で1曲目から順に演奏して一人楽しんだりしていた。
だいたいDisc2のA面の途中くらいまでは余裕で歌えていた。(Helter Skelter とかLong Long Long あたりまで。)ゆっくり歌っていると1回通したくらいですぐに休憩時間になったりした。

真夏の太陽照りつける中、TUBEのストップ・ザシーズンとかサザンの勝手にシンドバッドでも口ずさんでいるほうが絶対にVIVA!夏気分って感じで良かったに違いないが、あくまでも季節感など関係なくJohn がけだるく歌う Dear Prudence なんかがどうしても口をついて出てきてしまうあたり、やっぱりあまり可愛くない女の子だったかもしれない。

その証拠に、同僚の男子バイトの誰からもナンパされるようなこともなく16の夏は終わった。
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BLOGビギナーの2日目 [自分史]

だんだんにBLOGの仕組みを理解してきた第2日目・・・。
私の音楽の歴史、中学時代です。

●中学時代
小学校までは、クラスでもアクティブでかなり目立つ存在だった私は、家で独りじっくり音楽を聴くようなタイプでは当然なく、Charのファンとは言っても、1枚だけアルバム(しかもカセット)を買ってもらって友達の家に持って行って一緒に聴いたり、テレビで彼が「逆光線」やら「闘牛士」やらを歌っているのをテープレコーダーのマイク部分をテレビのスピーカーにくっつけて録音しては喜んだりという幼く浅いものだった。
ところが中学にあがると同時に引越しをして、1人も知り合いのいない新しい世界で学生生活をスタートした辺りから、自分の奥に潜んでいたやや暗い部分が頭をもたげだした。

お小遣いやお年玉の貯金などでCharやビートルズのLPをせこせこと買っては、家で1人レコードセットの前に正座をして聴きこんでいるような時間が増えだした。
ビートルズマニアだった兄だが、それでも持っている音源はだいたいカセットテープだったため、私はどうしてもレコードが欲しくて自然と自分で買うことになった。
ビートルズのアルバム集めは高校2年くらいまで続いた。(そこでほぼ全部集まってしまった・・海賊盤なども数枚だが買ったり。)

中3の時、横浜の関内にある小ホールでCharがライブをやると聞いて、まだ少女の私は1人で行く勇気がなかったが、友達でCharファンは1人も居なかったし(その頃にはもう、『ロック御三家』全盛の時代は終わっていた。ちなみにそれはChar、世良正則、原田真二の3人)とはいえ母親に頼んで一緒に行ってもらうほどの子供ではなかったので、しょうがないのでやっぱり1人で行った。

なんと!前から2列目だった。やっぱり裸にジャケット姿で、ギターをかついで走って現れたCharは、夢の中の王子様のように格好がよく、ギターもギンギン走っていた。
今でも悔やまれるのは、Charがピックを投げてほぼ私の足元に落ちたのに、気弱な私は何だか恥ずかしくて、隣にいた知らないお兄さんに静かにそれを渡してしまったのである。

熱狂のライブの次の朝、いつものように親友の小百合ちゃんと登校したが、どうしても昨夜の感動を誰かに伝えたかった私は
「ねーねー私昨日ね、すっごいコンサート行ったんだよーーメチャクチャ良かったの。Open your eyes って曲のギターがね・・・」とか熱く語り出したのだが、野口五郎ファンの小百合ちゃんは
「えー。五郎のほうがいい。Charってもう売れてないんでしょ?首長くて気持ち悪いよ」
の一言ですぐに話題を変えられてしまい、
「もう二度と女友達と音楽の感動を共有しようとするのはやめよう、逆に淋しくなる。」と15歳の私はその時固く心に誓い、その後ずっと音楽に関しては、きわめて孤独な一人旅をすることとなった。

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BLOG始めました [自分史]

          

横浜在住、某メーカー勤務OLです。
今日からBLOGなるものをちょっとやってみることにしました。

今年4月の私の誕生日に、自分へのプレゼントとしてiPOD Mini を買いました。
容量は6GBなので単純計算1500曲くらい入るわけですが、今のところ700曲ほど入ってます。
私の音楽の趣味はかなり浅く広くで本当に色々なんだけど、和洋で分けると、7割がた洋モノ志向。演歌とクラシック以外はかなり何でも聴く。といった感じでしょうか。

ブログSTARTにあたり、まず私の音楽遍歴(というほどの中身はない)を時代ごとでご紹介し、それから日々のつぶやき編に進みたいと思います。

本日は、私の小学生時代の音楽遍歴。

●小学生時代
4才くらいですでに、何かのテレビのBGMで 『アルハンブラの思い出』 がかかると、必ず駆け寄っていってはテレビの前に突っ伏してさめざめ泣いていたという、音楽に魂を打ち抜かれやすいタイプではあったようだが、小さい頃は基本的には音楽好きというよりも単なるミーハー気質だった。
大好きだったアグネスチャンと郷ひろみにファンレターを書いたり、日曜午前の「スター誕生!」を見るのが何よりの楽しみだったり。
また一方で、6才上の兄がR&Bやソウル系洋楽が好きだったので、当時の小狭い自宅で、夜な夜な兄のラジカセから大音量で、アースやサンタナ、またスティービーワンダーなどのモータウン系など、イヤというほど毎日耳にしていたので、その頃は全く意識しなかったが、すっかりあのあたりの音が自分の音楽脳に染み付いていたらしい。
また、これと並行してビートルズも耳にタコが出来るほど聴かされていた。
 
そして、5年生の末から6年生の時、TBSの夕方の生放送番組「ギンザNOW!」にたまたま出演していた Char (チャー)にすっかり腰くだけになり、裸の胸に白いジャケット・白い帽子・長い羽の耳飾りで、エンディングテーマとして「気絶するほど悩ましい」を1週間くらいにわたって毎日出ていたのを本当に毎日楽しみに見まくり、その後は熱狂的Char大好き少女になりきっていた。
(その後彼はすっかりアイドルのように売れて、すぐにこの番組の水曜レギュラーになって司会進行などやっていた。司会業はきわめてヘタだったが・・。)

6年生の1年間はまさに Char で始まり Char で終わってしまった。当時、クラスではセルロイドの透明下敷きにごひいきのアイドルの写真をたくさん入れて持ち歩くのが流行っていたが、私の下敷きには当然、平凡や明星から切り取った写真が山ほど入っていた。
(親がその辺、変に厳しくて平凡や明星は買ってもらえなかったので頼み込んで友人らから切り抜きをもらっていた)
また、ちょっとマニアックだが、Charのバックバンドでドラムを叩いていたリューベン辻野のことも大好きで、デビュー曲「薔薇の嵐」なんかも喜んで聴いていたが、リューベン的にはあの辺りのことは暗い過去に違いない。

そういえばCharに明け暮れたとは言ったが、このころピンクレディーの人気が絶頂期を迎えている頃で、Charの骨ばった細い指が奏でるムスタングの音色にひたすら涙する一方で、親友の奈緒美ちゃんとコンビを組んでウォンテッドやサウスポーの振り付けなど真剣に取り組んだりもしていた。
ウォンテッドのブラックとホワイトの髪飾りは、お小遣いをはたいて手芸屋でキラキラ光るスパンコールや羽根飾り、リリアンの紐などを買ってきて、せっせと縫い上げ得意になって頭に付けて踊っていた。恥ずかしい。
しかし、ダンスに比べ歌がテキトーだった奈緒美ちゃんに対し、ミーとケイのハモリ部分は正確に歌おう、とあくまでも主張した私はやっぱり音楽を真に愛していたのだった。

次は、中学時代へと進みます。                        
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