SSブログ

猫のように消えていった父と古賀メロディ [邦楽]

        koga01.jpg
    
早くも1年以上が経ってしまったが、それは昨年の6月の半ばのこと。

私は展示会関係の仕事で3日間大阪にいたのだが、母親がたまには旅行がしたいと言うので、最終日に母1人で新幹線で京都まで来てもらい、1泊だけのプチ京都観光旅行をした。

初日は金閣寺や二条城など訪ね、夕方からは少しフンパツして、鴨川の河原で初夏の涼風を感じながらの川床料理。
そして翌日は三十三間堂、伏見稲荷と回ったのち、まだ時間は15時頃だったが母が
「パパが家で独りでちゃんとやれてるか心配だし、まあちょっと早いけどもう帰るわ」
と言い出して、まだ日差しも傾かないうちに新幹線に乗り込んで帰途に向かった。

両親の住む実家は私の自宅からさほど遠くないので、改札で「楽しかったね、じゃあね」と母と別れ、20時頃だったか自宅に着いて一息ついたら母から電話があった。

「あ~お疲れ~。パパはどうだった?大丈夫だった?」

「・・・・それが。大丈夫じゃないのよ」

「え?何が大丈夫じゃなかったの?」

「パパね、冷たくなってる」

「はぃ?」

「氷みたいに冷たい。これはおそらく死んでる」

「・・・は??え、何、何???何かの冗談?やめてよ~」

「冗談じゃないの、本当なの。寝転んでテレビを見てる姿そのままで死んでるのよ・・」

「・・・・!!?」

そこからはアワアワしながらも私がすぐに119番をし、一度脱ぎかけたお出かけ服をまた着て、取るものも取りあえず実家に向かうと、ちょうど家(マンション)の下に救急車とパトカーが止まっており、救急隊の人が近寄ってきて
「娘さんですか?お父さんはもう死後24時間以上経っていて、不審死に当たるためここからは警察案件に変わりますから我々は帰ります」
といって深く一礼したあと、サイレンを鳴らさずに救急車は去って行った。

恐怖と眩暈を感じながらおそるおそる家に入ると、シャツとステテコの気楽な服装、そしていつもの体勢で居間の隣の部屋のソファベッドでノンキに寝転んでいる・・・ようにしか見えない父親を警察の人が5~6人で囲んで現場検証をしているところだった。

家で不審死すると、物取りの犯行、家族の犯行など色々なことを疑うらしい。
母や私もアリバイを聞かれたりして、記憶を手繰りながら昨日からの自分らの行動を証言した。

その後の解剖で「心筋梗塞…ではないかと思われる」というあいまいな報告がなされたが、父はこれまで心臓でも脳でも一度も検査で引っかかったこともなかったし、何か直感的に、心筋梗塞とかではないだろう、と感じたし今もそう思っている。

と言うのも、あとで分かったことだが、父は自分が所属する色々な団体(趣味人なので囲碁・麻雀・五行歌の会など色々な会に所属)を死ぬ直前にすべて脱退していた。
そしてなんと、死んだ前日は父の引退記念の麻雀大会が開催され、そこで見事に優勝し、最後にメンバーと順に握手をして「なんで急に辞めちゃうの?体調でも悪いなら、直ったらまた戻ったらいいのに」と皆んなに口々に言われながらも「いや、もう終わりです。これまでありがとう」と明るく微笑んで父は会を辞していたらしい。そして囲碁や歌の会でもほぼ似たような事をしていたというのだ。
(我々家族は複数の弔問客からそれを聞いて初めて知った次第)

そんなことがあっての急死であった。死亡推定時刻は発見前日の午後2時ごろ。

母に「京都だろ、行って来い、行って来い。」と朝8時ごろ送り出して独りになった数時間後に、テレビの前に寝転がり、膝元に新聞を広げてナンプレをやりながら、誰に看取られることもなく、人に微塵の迷惑をかけることもなく一人静かに息を引き取っていた。

あとで弔問に来た、長年の麻雀仲間だという70代くらいの女性がポツリと
「こういう言い方はナンだけど・・・猫みたいな亡くなり方だわね」と言った。

その日初めて会った見知らぬ女性にそんな言われ方をして、普通なら「人を猫だなんて、ずいぶん失礼ですね」とムッとすべきところだったのかもしれないが、あまりにもピッタリな表現だったので私も母も「ええ、本当に・・・」とうなずくしかなかった。

思えば本当に父は猫みたいな人間だったような気がする。自分勝手で気まぐれで風来坊で。
しかし、猫でももう少し色々と紆余曲折あってから死ぬんじゃないだろうか。

決意の自殺だったのだろうか? 前日までの状況を知れば知るほど自殺としか思えない。
しかし、新聞読みながら自害するヤツもいないだろうし
(ついでに言うと赤ペンで色々書き込まれた競馬新聞も足元にあった)
自殺にしては、のんきな寝姿(死に姿)すぎた。

父は一体どうやって、計画的PPK(ピンピン・コロリ)を決行したのだろうか。
今となってはもう永遠に真実は分からない。天性の直感で老衰による死を予感したのか、独自の美学をもって強い気合で息をするのをやめたのか。

父は昔から家のことは一切しない人で、卵もまともに割れない。ティーバッグで紅茶を入れるだけでもその辺をビシャビシャにするような、家庭では全く使えない男だ。
(大きな声では言えないが社会においても同様だったのだが)
服を脱いだら脱ぎっぱなし。ドアも開けたら開けっ放し。寝たばこで布団をひどく焦がしたことも一度や二度ではない。父を残して母に先に逝かれたら、私の後半人生は悲惨なものになるところであった。

ここ1~2年は、そんな予感が妙によぎって背筋を寒くしていた私は、何かにつけて母とは
「もしママが心臓発作か何かで死に瀕したら、すみやかにパパの首を絞めるとかしてパパを殺してから死んでね。絶対に残して死なないで」
「そうね了解。わかった!」という会話を大真面目にしていたくらいだった。

しかし、そうは言ってもだ。
自分のDNAの半分を構成している存在が突然消えて居なくなるというのは思いのほか虚脱感が大きいことだった。
悲しいというよりも、折にふれて「もっと話を聞いてあげればよかった」とか「最後に会った時、けっこう冷淡にあしらってしまったな」とか「父の動画が一つもない。スマホで簡単に撮れるものを、なぜ1度くらい撮っておかなかったんだろう」というような小さな後悔がよぎって、町で父に似たような老人男性を見かけたりすると、それがうわっと押し寄せるのだった。

詩や小説を書く父は、死後押入れや戸棚の中からとてつもない量の原稿やノート、日記や走り書きを残していったが(推理小説なんかも書いていた。ビックリ)複数個所に
「自分が死んだら、故郷の右善坊山(うぜんぼやま)に還りたい」と書いていた。

それは愛知県の渥美半島の突端に近いところに位置する、父の生家の後ろにある小さい山である。
よっぽど想いが強かったのか、それは色々なところに書いてあったし、昔父から直接、言葉で聞いたこともある。

なので、父の死からちょうど100日目に会社の休みを取り、母親と弟、あと父の姉(86歳になる)も伴い、新幹線に乗って豊橋で降り、そこからレンタカーで南下して渥美の右善坊山まで父の骨を撒きに行った。

大げさな散骨は市役所に届けたりしないと法律違反になるので、私が隠し持っていた頭蓋骨の一部(後頭部あたり。焼き場で骨を拾う時に手持ちの袋にコッソリ入れて分けておいたのだ)を出発前日にジップロックに入れて金づちでガンガン叩いて粉にしたものを撒いた。
(ちょっとシュールな光景)

9月の平日の午後、ひとけのない山道をゆっくりと上がっていき、まだ中腹にも届かないところで86歳の叔母が
「あっ、この辺よ!弟と小さい頃一緒に遊んだ辺りは!」と証言するのを確認し、
我々は立ち止まって土の上にお線香を一本炊いて手を合わせてから、粉にしてあった骨をみんなで分け合い、吹き上げる風に乗せるようにして父の骨を撒いた。

弔いとは死者のためにあるのではなく、残された者たちの心の平安のためにある。

父の希望を叶えて、はるばる故郷の山に散骨しにきたことで私も(家族達もたぶん)だいぶ気持ちはすっきりして、ひとつの死を消化したのだった。

ところで、父は文章も書くが音楽もやる。絵もうまい。元々が器用なタチだ。
しかし何をやるにしても道を究めるまではやらないので、いずれも中途半端に終わる。
「こんな人、どこかに居たな・・・はっ!私だ!」と父娘でよく似ていることに今さら気づいたりする。DNAとはかくも恐ろしい。

父は昔から、よくギターを弾いていた。壁に立てかけてある手入れの悪いクラシックギターを、夕飯のあとなどに気まぐれに手に取って構えると、ほぼ間違いなく最初は古賀政男の『影を慕いて』のイントロから始まった。

「このイントロが弾きたくて当事はギターを始めたヤツが多かったんだよ。」と昔父が言っていた。
エレキギターで言うところの Smoke on the Water (ディープ・パープル)みたいなものか。

実際この時代における 古賀政男 は、今でこそ「影を慕いて?何それ、ド演歌?」みたいな印象を持ちがちだが、今で言うところの 米津玄師 のような尖った音楽センスと絶対的なスターのオーラをもつ存在だったようで、音楽好きな青年はたいてい古賀政男は必ず通る道だったらしい。(あと調べ。)

Dマイナーの「影を慕いて」のイントロはやるせなく悲しく、ソロあとの三拍子の
ズンチャッチャッ ズンチャッチャッ に合わせて、父は消えかかるような声で
「♪ま~ぼろ~しの~~ぅ・・・」と味わい深く唄い始めるのだが、1番を唄い終わるか、それより手前ぐらいで演奏はいつもフェイドアウトして消えていき、どう思い返しても父がこの曲の最後まで弾き切ったのを聴いた事がない。

器用だが中途半端。これが父なのだ。

父はハーモニカもうまくて、つい最近まで老人ホームに何度も慰問に行ってハーモニカ演奏を披露したりもしていた。(自分より年が若い人も多いであろう入居者たちに向かって、慰問もくそもないものだが)

最初は単なるハーモニカソロで演奏していただけだったが、聴衆の老人たちは集中力もなくてウケもイマイチだったらしく、途中からは老人たちが一緒に歌える有名曲や童謡などの伴奏として吹いていた。
私はさんざんそのための歌詞カードを作らされたので、ちょっとPCの中を探したらWordで作成した歌詞カードのデータがゾロゾロ出てきたので一部をご紹介しよう ↓↓

歌詞カードmini.jpg

上の曲は「城ケ島の雨」下は「浜千鳥」と言うらしい。どういう曲かは知らない。

また、当然父の好きな「影を慕いて」も施設のハーモニカ演奏のレパートリーには必ず入っていた。

父の弾き語りはいつも途中で終わってしまっていたので、私はこの曲を実はちゃんと知らない。Youtubeで検索してみたら、色々と出てきた。

基本は藤山一郎の曲らしい。



こちらは石原裕次郎による歌唱。ギターはナンチャッテっぽい。


あ~まさにこのイントロ!この音色です。おとうちゃーーん。(少し泣きそう)
やるせない悲しげなメロディ。父はきっとこの曲に若き日の色々な思い出を重ねていたのだろう。

「影を慕いて」は、まだギターやマンドリンの演奏家でのちに大作曲家となった古賀政男が戦前(昭和初期)に曲のみならず詞までも自作してリリースされた曲であるが、名曲ゆえに色々な歌手によって歌われた。
そしてちょうどうちの父親が中学生くらいの時に、古賀の原案により彼の自伝的ストーリーの同名映画にもなり、その主題歌となって再び大ヒットしたらしい。
(上のyoutubeで石原裕次郎が歌っているのも、再ブームからの流れと思われる)
そもそも、この曲は古賀が大失恋をして自殺未遂をはかった直後?に思い浮かんだ曲だというから、おそらく映画の内容は恋の駆け引きなども絡んだストーリーなのではないだろうか。

思春期まっただ中の田舎の少年には、悲しいラブストーリーは激しく心を揺さぶっただろうし、映画の中で何度も唄われるその主題歌は何よりのお気に入りになったことだろう。

葬儀の際に色々な親戚や旧友から聞いた話では、うちの父は高校時代、野球部のピッチャーだったが、授業中は教室を抜け出して木の上でギターを弾いたり本を読んだり昼寝などしていた、ちょっとしたアウトローだったらしい。

木の上でギター・・・って往年の大スター小林旭とか石原裕次郎が映画の中でやってる以外にリアルでやる人いたんだ??って感じだ。
(きっと口には小枝をくわえていたにちがいない)

実際、小林旭に似てるね、とよく言われ、スポーツマンでもありけっこうモテていたと聞く。
うちの母は、実は父と高校が同じで2年後輩だったので2年上の父を当時から知っていたそうで「ちょっと変わっていたけど物知りで、クールかと思えばものすごくオチャラケたり、魅力のある人だった」とお葬式の時に親戚と話していた。(初耳)
また父は、親友たちに「俺は小説家になって有名になるんだ」といつもいつも言っていたそうだ。

でも結局父は、夢だった小説家にも野球選手にも歌人にもなれはしなかったし、それ以前に、会社員としても家族の大黒柱としてもまともにその責務を果たせなかった不甲斐ない男だった。
おかげで母は色々苦労したし、私も大学4年の時、財閥系に就職が決まりかけてたのに、そのタイミングで父が会社を突然辞めちゃって、興信所に調べられて、まもなく内定取り消しになったりもしたっけ。
うーん、今となれば全て懐かしい。

そんな父が、団地暮らしの夕餉のあとに、ちゃぶ台の周りを駆け回る子供らを背にポツリポツリ爪弾いていた「影を慕いて」。
そんな情景を思い出しながら Youtubeに沢山あがっているこの曲のギター演奏や色々な歌手によるカバーなどを見ていると、父の叶えられなかった夢や憧れ、そして少しも世間に名をなすことも出来ぬまま年老いて、居間でナンプレをしながら独り息絶えた、無念とも後悔とも達観ともいえない漠然とした想いが黄泉の世界からしみじみと娘の私に伝わってくるのだった。

----------------------------------------------------------------

(追記)

誰も興味などあるわけない私の父親の思い出語りを長々してしまったが、もう一つ思い出したことがあるので最後に。
(whiteberryさんのコメントから想起。ありがとうございます)

上にも書いた父の晩年の趣味のひとつ「五行歌」だが
五行歌には季語もないし字数の縛りもない。とにかく五行になっていればよい自由詩スタイル。
父は、俳句や短歌を多く作ったのち、ここ10年くらいで五行歌をやるようになったようだ。

数年前に、神奈川県内の小さい個展会場みたいなところで五行歌の発表展覧会があって、父の作品も選ばれたというので母と観に行ったことがあった。
風景や季節、恋心など美しくも芸術的な作品が5行で書かれて額縁に入れられ、そこら中に多くの作品が飾ってあったが、階段を上がっていった真正面に父の作品があった。
今も忘れられないが、そこにあった句は、

  母の名は さわ
  思うだけで
  悲しくなって
  五行の歌には
  なりません

というものだった。

「五行の歌にはならない」という五行の歌。
こんな五行歌は見たことない、さすがセンスが違うわ、と誇らしく思ったのを覚えている。

父は6人兄弟の長男で母親にことのほか可愛がられ、母親が野良仕事に右善坊山に行く際、幼少の父と2つ上の姉とで後を付いて行っては、日がな一日、横で遊んでいたらしい。なので、父にとってその山は母のサワさんの象徴なのだろうと思われる。

やはり骨を撒いてあげて良かったな。
きっと今頃お母さんと楽しく、ふるさとの山道を散歩していることでしょう。
nice!(1)  コメント(7) 
共通テーマ:音楽

nice! 1

コメント 7

JT

こんばんは、JTです。

週に1回くらい、更新されていないか確認していたのですが、今日通勤電車の中で気が付きました(在宅勤務なんて1回もありません)。
コメント1番乗りなんですね。初めてかも。

お父様、お悔み申し上げます。

お父様の人となりがよくわかりました。粋人だったのですね。自分の死期までもわかるなんて。

>父は昔から家のことは一切しない人で、卵もまともに割れない。

ウチの父親も料理どころかお湯を沸かす所すら見たことありませんでした。我々世代(勝手に一緒にするな(笑))の父親ってそんなものでしょう。

>「このイントロが弾きたくて当事はギターを始めたヤツが多かったんだよ。」

そういえば、中学時代の英語教師も「影を慕いて」を弾いてました。そうだったんだ、なるほどねぇ。

>弔いとは死者のためにあるのではなく、残された者たちの心の平安のためにある。

自分もそう思っています。法事も残された者が故人を想う行事ですね。

>今もあちらの世界で弾いているのかもしれない。

死後の世界なんてない、と常々思っていますが、自分もたまにこういったことを考えることもあります。

よい文章をありがとうございました。またいろいろ読ませてください。
by JT (2020-11-09 21:46) 

milk_tea

きゃぁぁ~!JTさんだ。ご無沙汰してます、しすぎてます!
何年も放置だったブログ、いち早く見に来てくださり本当にありがとうございました。JTさんお元気でした?
最近はもうブログは下火なので、実はTwitterもしたりインスタもチョコチョコやったりしてるんですけど、結局私は果てしなく文章を書きたい人間なので、やはりブログが主戦場、というかブログしか無理みたいですね~^^;
so-netブログもSSブログ?に移管されて、まだ急になくなることもなさそうですし、やはりブログは続けていこうと思います!
JTさん、またちょいちょい覗いてみてください!

で・・・

>(在宅勤務なんて1回もありません)。

えーっそうなんですか??在宅が出来ない種類のお仕事でしょうか。
私は最近は月・水・金は完全に在宅です。出勤は火・木だけ。ハッキリ言ってサイコーです。ありがとうコロナ!というぐらい。もう週5連続出勤など出来ない身体になっちゃいました。

>お父様、お悔み申し上げます。

どうもありがとうございます。
勝手きままな父でしたし、本当に家のことが何も出来ないので、母に先に逝かれるのだけは避けたかったので、正直そこまで悲しくはなく、「カッコいい死に方してくれたじゃん」って褒めたい気持ちと、あとまぁちょっとポッカリ感がある程度ですね。

>ウチの父親も料理どころかお湯を沸かす所すら見たことありませんでした。

そうか!うちだけじゃないんですね。やはり世代か。
イヤ、でもうちの父は人一倍でしたけどね。

>そういえば、中学時代の英語教師も「影を慕いて」を弾いてました。

そうそう。昭和ヒトケタ(うちの父は10年でしたが)世代とかだと、ギターというと古賀政男だったみたいです。洋楽が入ってくるのはまだ少しあとだったんでしょうね。

>死後の世界なんてない、と常々思っていますが、

ええ、ないと思います・・・。
でも死後の世界というものはなくても、存在の残像みたいな、蜃気楼のように残る何かはある気がする。そこに魂はないのかもしれませんが。
私がたまに実家に行くと、父の部屋のフローリングがミシ、ミシ、と人が歩くような音がして、リビングにいる私に反応してるのかな、と思った時が2度もありました。何かいるんだろうなと思います。

何となく父のことは何かに書き留めておきたくて、1年半も経った今、超個人的な話ではありますがブログに書かせてもらいました。
読んでいただき本当にありがとうございました。

by milk_tea (2020-11-10 00:41) 

whiteberry

milkさま、大変ご無沙汰しております。
昨晩新しい更新に気が付いてビックリ!
そしてお父様を亡くされたとのこと、心よりお悔やみ申し上げます。
milkさまのお父様らしいといえばらしい、1つの哲学と美学を持った素敵な方だったと拝察します。
文中にあった五行歌…仕事がらみで少し知っていますが、俳句や短歌のような縛りがない分、逆にものすごく難しいですよね。そのせいか評価に決め手がなくなかなか世間でもメジャーにならない印象ですが、そんな世界にも足を踏み入れていたとは、お洒落なお父様ですね。

それにしても、久々にmilkさまの美しい文章を堪能できてとても嬉しいです。コロナ禍でどうされているのかなと思っていたんですよ。
私も半分は自宅からリモートワークしています。おっしゃる通り、我々世代には身体が楽でありがたい(笑)今日も家です(^○^)

ブログは下火と言いますが、長文を書くならやはりブログ。milkさんの文章をツイッターにしたら、「続く」で100本くらいになってしまいますよね!
まだまだ愛読しますよ!ぜひぜひ続けてくださいね。
お身体、大切に。
by whiteberry (2020-11-10 09:55) 

milk_tea

Whiteberryさん♪ こちらこそご無沙汰しております。
お元気そうで何よりです。やはりリモートワークされてるんですね。
(テレワークとリモートワークの違いって何だろう。私は割とテレワークって言ってますね。多少定義が違うのかしら?)

>1つの哲学と美学を持った素敵な方だったと拝察します。

ありがとうございます。どちらかというと哲学と美学だけで生き切ったという印象です。
人と同じことをしたがらないところ、どんな事でもすぐ上手く出来るようになるけれど社会的に認められる域までには決してなれないというところ等は完全に私に遺伝しています。遺伝って怖いですね・・。

>文中にあった五行歌…仕事がらみで少し知っていますが、

えーっ、本当ですか。さすがライターさん!(笑)
うちの父は短歌や俳句を多く作っていましたが、何かのきっかけで五行歌をやり始めたようです。五行歌って、おっしゃる通り季語もないし字数の縛りもないから、だんだん俵万智の「サラダ記念日」テイストになってくるんですよね。超個人的で、口語的な感じ。なのであまり重みがない・・・。私はあまり好きじゃないかな。

そういえば・・・
と、五行歌について一つエピソードを思い出したのでここに途中まで書きかけたのですが、やはり本文に書こう!と思い直し、いま追記したところです。
whiteberryさんのおかげです!ありがとうございました。
(追記もよかったらお読みください)

これをきっかけに、また少しブログ書いていこうかな・・・と思ってます。原点回帰ですね。
これからどんどん寒くなりますので、whiteberryさんもどうぞご自愛ください。
by milk_tea (2020-11-11 13:50) 

whiteberry

milkさま、コメントおよび本文追記、拝見しました!
確かにこれは本文に書くべき!
五行歌という引用から思い出していただいたなら良かったです。
お父様、これを80前後のご年齢で詠んだとしたらホントすごいセンス!milkさまの日頃のモノの視点はやはりお父様譲りなのかもしれません。
お母さんの名前を文字にしただけで胸が詰まってしまう、、、やはり男は永遠にマザコンなんでしょうね。(失礼な言い方でしたらすみません)

五行歌って、俳句や短歌のように縛りがない、というより、自由詩に縛りをもうけている、という表現の仕方が正しいかもしれませんね。
でもサラダ記念日っぽくなる、は分かる気がします。どうしても説明的になりますからね。

連投、失礼しました!
by whiteberry (2020-11-12 12:38) 

トム

にわかには信じがたいくらい、まるで日本映画のような最期。
そして何より、お父様の五行歌に息を飲みました。
間違いなくワードセンスというか、感性のようなものはmilkさんに受け継がれています。
by トム (2021-09-09 21:35) 

milk_tea

トムさん、初めまして!
(初めましてじゃなかったらごめんなさい)
当ブログにコメントをいただきありがとうございます。
こんな、顔も知らないヨソ様ん家のジーサンの死にざまを長々語った駄文を最後まで読んでいただいたなんて、それだけでモーレツに感謝です。
私の人生に何の後押しも配慮もしてくれなかった父親ですが、この記事をひとつ書いたことで私の中で父に対して整理がついて、気持ちが落ち着きました。父も文章が好きな人なので、こんな供養のされ方を喜んでいると思います。
トムさんも、ご両親がまだお元気でしたらどうぞ大事にしてあげてください。

by milk_tea (2021-09-17 15:48) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。