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混迷の高校時代 Ⅲ [自分史]

             

私の人生において、相当あとあとまで精神的に暗い影をひきずった高校時代後期。
音楽的意味はどうであれ、これはやはり書いておかなければならない。

●高校時代 Ⅲ
高2の秋についに片思いが成就、人生の絶頂期を迎えたかに見えた私だったが、楽しい日々はそう続かなかった。私も人生初のちゃんとした男女交際で一体何をどうしていいものやら、常に緊張がつきまといちっとも上手く付き合えなかった。本当の自分など1%も出せないうちに5ヶ月ほどで自然消滅に近い形で幕を閉じた。(単にフラれたのだが。)

とはいえまだまだ未練たらたらだった私は、自然消滅を自覚しながらも、彼からもらった小さなヨットの形のネックレスを毎日大事に首から提げていた。
ある日、授業が終わって、いつもとは少し違う時間に1人学校から駅までの道を一人でポツポツ歩いていたら、20mくらい前の橋の上を、その彼と同じクラスのKちゃんが2人手をつないで楽しく小突きあいながら歩いているのを目撃した。
ああ、そういうことだったのかと今さらながら静かに全てを悟り、その場で首のネックレスをひきちぎって橋の上から川に捨てた。
その後、冷静に思い返すと、その数週間前の4月15日それは私の18才の誕生日であり、かつ東京ディズニーランドが日本で初めてOPENした記念すべき日だったが、2人はその日学校を休んでいたのを思い出した。
2人は学校をサボってディズニーランドデートをしていたのだった。元カノの誕生日の日にだ。
(ちなみに、その頃「元カノ」なんていうお手軽で楽しげな略称は存在していない)
こうして私はきれいさっぱりフラれた。(音楽の話は?というツッコミは無しでお願い)

恋を失い、ふと我に返ると周囲はいつからか受験モード一色だった。そうだった。高3になっていたのだった。大学受験までもう1年を切っている。
私はいきなり勉強をし始めた。夜9時になるとラジオをつけてFMで色々な洋楽を聴いたり、ニッポン放送のくだらないタレントのしゃべりなど聴きながら毎日遅くまで机に向かっていた。
その頃にはまた前のように色々なアーティストの音楽を聴きまくっていたが、特にハマって聴いていたのがソロになってからのJohn Lennonや、邦楽では何故か大貫妙子にドップリと行きだした。どちらも到底、明るい方向性とは言いがたい。要はやっぱり私の心は深く黄昏ていたのだと思う。

大貫妙子は、彼女本人はもちろんのこと、バックを取り囲む面々が日本のポップス黎明期を支えてきた重鎮ばかりなので作品群はどれも素晴らしかった。ヨーロッパの裏通りの古い石畳を降り始めの雨が濡らすような、ロマンチックだが淋しいような、懐かしい感じがするが初めて触れたようなサウンドで、どのアルバムも本当に擦り切れるほど聴いたものだった。

とにかくもう、カセットデッキやラジオから流れるたくさんのお気に入りの曲をお供にただ、ただ勉強する日々が受験まで続いた。

そういえば1月15日の共通一次試験の前日の夕方、もう春から口を聞いた事もなかったI藤くんから突然電話があった。
「明日だろ?(彼は私立専門コースだった)君は一生懸命頑張ってきたから絶対大丈夫だよ」
大切な試験の前日にボクから電話があれば嬉しくて頑張れるだろう、といまだ思っているらしい彼の身勝手さとエセの優しさに脱力しながらも、言葉少なにお礼を言って冷淡に受話器を置いた。
アホかっ、と心で毒づきながら部屋に戻ったあと、思いとうらはらに涙がドバドバと出て仕方がなかった。

3月、無事に某国公立大学に合格し、気楽になった春休みは「くそー大学に入ったら、こんどこそ明るく楽しい女子大生生活するんだー!」と自分に気合を入れつつ、またもやレンタルレコード屋に通いつめていた。こんどはWINGSなどにハマってみた。ポールはどこまでも明るい。
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