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阿久悠の歌詞世界 【前編】 ~年末の記念特集番組に寄せて~ [邦楽]

                                                          

やっと大掃除に手をつけ始めたはいいものの、かえって部屋がグチャグチャになってきて途方に
暮れかけていた12月29日の夜、TBSで興味深い特集番組が放送された。
それは、あの阿久悠の作詞生活40周年を記念した特番で、タイトルも 『超豪華!歌謡史決定版
ナンタラ(忘れた)・・・阿久悠特別番組』 などと、かなり鳴り物入りっぽかったので、昔から阿久悠
にはひとかたならぬ敬意の念を持っている私は迷いもなく録画予約をセットし、リアルタイムでも
前のめりになって番組を見た。

3時間半にわたる長時間だったが、内容は、彼の手掛けた数千の楽曲から、中でも有名な30曲
前後をショー形式かつ当時の懐かしい映像を織り込みながら、本人あるいは別の歌手がその楽曲
を歌っては、合間にその曲への想い、阿久氏との関わりや当時の周辺状況などについて語った
コメントが入ったりする。また阿久氏自身もひんぱんに登場し、鳥越俊太郎との対談などもあると
いった贅沢な内容で、最後まで全く飽きることがなかった。ある意味NHKの紅白なんかより
よっぽど顔ぶれも豪華だったと言えよう。

私が阿久悠を知ったのは、何と言っても日曜午前11時からの日テレのスター発掘オーディション
番組である「スター誕生!」でである。
番組スタート時、私はまだ幼稚園くらいだったが、小学校低学年くらいからこの番組の人気は
うなぎのぼりに伸びていき、私は毎週日曜にこれを見るのを何より楽しみにしていた。
今では夢のような話だが、そこでの審査員は 阿久悠をはじめ、都倉俊一、森田公一、三木たかし
など、審査員だけでも豪華ラインナップであった。

パターンとしては、歌手志望の少女が桜田淳子の『天使も夢見る』なんかを元気に歌ったあとに
司会の欽ちゃんが「んじゃ審査員の先生方に聞いてみよっか!んな!」などと、ほのぼのトークで
講評を仰ぐのだが、まず松田トシ先生(・・・この人って何だったの?元歌手?)が、
「貴方ね、今のサビのところ、トップの音出してごらんなさい、はい、♪ア~~~」
怯えた表情で声を震わせながら出場者が 「♪あ、ぁぁ~・・・(緊張で声が上手く出ない)」
すると、松田トシ 「それじゃ半音低いでしょ。もういっぺん、はい、ア~~!」
「・・あぁぁぁ・・・(半分涙声)」 「その音が出せないんじゃ、この曲を選んだ意味ないでしょ貴方?」
その時点で完全に打ちのめされている女の子に、こんどは阿久氏がおもむろに
「うーーん、あのね、僕にはキミの歌うこの曲から、映像が少しも思い浮かばないのね。それは
キミ自身がこの曲の背景を感じてないからなんだよね」 と、とどめを刺して少女を地獄の底に
突き落とす。それを欽ちゃんが、
「先生っ、んな厳しいこと言わないであげてよ・・・岩手から出てきたんだからサッ、なあ?お母ちゃん
も一緒に来てんだよな?」などと、再びほのぼのムードに引き戻そうとするが、落ち込み切る女の子
を前にそれも不発に終わる。
こういうオキマリ展開を、「ねぇお兄ちゃん、この人絶対落ちるよね」などとニヤニヤしながら毎週
見ていた私だった。(やなヤツ)
ちなみにうちの兄(年が離れているので当時すでに高校生くらい)は、この松田トシの審査風景の
モノマネがすごく上手かった。もはや本人も記憶にないだろうが。
思えば、こういうマニアックなモノマネをしたりする兄の感性に私は多大な影響を受けている気が
しなくもない。

さて今回知ったことだが、「スター誕生!」のタイトル名や番組のコンセプトやスタイルなど、全て
阿久悠によるものだったらしい。一介の作詞家でありながら、全体のプロデュースも手掛けていた
ということになる。その時点ですでにモノスゴイ人物なわけであるが、まだ子供で何も知らなかった
私は彼を、厳しい審査員の1人のジャガイモみたいな顔のおじちゃんくらいにしか思っていなかっ
たし、当時、毎日歌謡番組で見聞きしていたあまたの曲について「これは誰が作った歌詞?」
などという疑問を1度たりとも感じたこともなければ、「いいわぁ~この歌詞」と感じ入ったこともない。
全体のムードとして、ノリとして、時代の匂いごと日々身体に染み込ませていたのみである。

これについて 「グッと来る曲だな」 とか 「味わい深い歌詞だな」 とか 「やっぱり阿久悠のセンス
が光ってるワ」 など、細かい感慨に行き着いたのは本当にごく最近のことであったと思う。
しかしあの頃、そうやって自分の身体に染み込ませた数千もの他愛ない歌謡曲の集合体から、
今その1つ1つを切り出しながらこういった細やかな感慨が得られるに到るまでには、20年30年
もの熟成期間が確かに必要だったような気もする。
今、電車の中で女子高生と隣り合わせ、ガラスに映る自分と女子高生の明らかな若さの違いを
実感しつつも、私が長い年月で身に着けたあらゆる面白い情報や知識や、取っておきの記憶を
この子達はまだほとんど持っていないのだ、と思うと、迷うことなく「自分のほうがやっぱりいいな」
と思う。最近とみにそういう事を思うようになった。

気付いたらまたもや話題がアッチコッチしてきたので、無理やり話を戻すが(笑)

戦後20年あまりも経って十二分にその国力を取り戻した日本は、文化面でもなお一層の充実を
図っていく余力に満ちていた。
そんなタイミングに、時代の寵児のように現れた、いや、時代の寵児の輩出の為、裏で密かに
現れ出でたのが阿久悠であった。

それにしても、この特番に順に出てきた歌手はとにかく皆スゴかった。歌謡界の超大物をそっくり
まとめて連れて来たような世界だ。
それはそのまま、日本のアイドル史の変遷であり、日本レコード大賞の変遷であり、子供の頃
見ていたテレビという夢の媒体におけるコンテンツの完全凝縮版であった。それを先導していた
立役者の1人が阿久悠だったということになる。

この歌も阿久悠だったのか!この歌も!この歌も!と今さらながら驚嘆する有名楽曲の数々を
今回、テロップで流れる歌詞のほうを重点的に味わいながらじっくり聴いてみて、改めて阿久悠の
偉大さを思い知るに到った。

30曲全部の解説はしていられないので、ほんの一部にはなるが、

 

石川さゆり 『津軽海峡冬景色』 ・・・・まずこのタイトルだけで、脳内映像は90%固まる。
彼は「タイトル付け」の時点ですでに天才だった。
頭の「上野発の夜行列車降りた時から」・・・ 「上野」。 「夜行列車」。単語使いだけで、のっけから
ダイレクトに郷愁感バリバリなのであるが、そのあとの
「北へ帰る人の群れは誰も無口で 海鳴りだけを聞いている」 そして
「ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと・・・見知らぬ人が指を指す」 
この辺りも、まさしく秀逸であるとしか言いようがない。人々が沈黙して移動する風景に、遠い
海鳴りが静かにこだまする。そしてそんな中、2番は「ごらん・・」って横にいた見知らぬ人の言葉
から入るんですね。 渋い。渋すぎる。日本海ですよねぇ・・・・
(いや青森だから日本海じゃないのかな。太平洋か?もっと別の海かも?え?私バカですか?)
ま、ともかく、男に別れを告げ、故郷の津軽に戻ってきた女。背景はこれだけなのだが、充分すぎ
るほどに3分間の名作ドラマに仕上がっている。文句のつけよう無し。

それから演歌つながりで言えば、私にはいつ聴いても泣きそうになる、演歌では珍しく大好きな
曲がひとつあるのだが、それも阿久悠作品であり、しかもこの特番でも本人が出てきて歌った。
これには、いたく感動。それは森進一「冬の旅」 だ。 

 

この曲はものすごいシンプルな構成になっており、
Aメロ(4小節)-A’メロ(4小節)-サビ(4小節)-サビ’(4小節) だけで1番。 
これが3番まである。
しかも、その3つとも、サビの8小節は歌詞が同じ。なので最初の8小節×3通りの短い歌詞だけ
で曲全体を味わい、状況を理解しなくてはならないわけだが、そこは阿久悠。

詞の内容は、男がある冬の日、

    ある日何かで これを読んだら 恋人あなたはわかってくれ
    泣いて一生 無駄に暮らすな すぐにも幸せ さがしてくれ

と言って、突然女の元を去る。

   
   もうあなたのところへは帰らないだろう
   ひとりひとり 旅に発つ 雪の降る町へ  (1~3番全て同じ歌詞)

これがサビだが、演歌らしく北国へと一人旅立っていく。(南国じゃやっぱりムードない)
彼は北で何をするのだろうか。それはまあいいが。
そして2番。

   
   もしも誰かに 尋ねられたら あいつは駄目だと 話してくれ
   女心も 知らぬやつだと 話を合わせて けなしてくれ

悪いのは俺だ。おまえのせいじゃない。どうとでも言ってくれていいと。
で、3番。

   だからあなたも 部屋を片付け 二年の暮らしを 忘れてくれ
   俺の匂いの 残るものなど ひとつも持たずに 歩いてくれ


この3番の時点で、森進一の歌はほとんど嗚咽に近くなる。顔も崩壊寸前だ。
出て行く男側の一方的な言い訳にすぎないのに、むしょうに涙を誘う。
俺が残したものは一切持たずに今後の人生を 「歩いてくれ」 という最後の言葉選びも何とも
たまらないではないか。「暮らしてくれ」「生きてくれ」とかではない。「歩いてくれ」はもっと切実で
思いが深い。

女を捨てていく男の身勝手さで言えば、私が前々回のカラオケの章でちょっと書いた小田和正の
「秋の気配」の歌詞と同じ世界なわけだが、小田のほうには何となく「おまえも、ちったぁ泥水
かぶれ!エエカッコばっかりしやがって」とつい思えてしまうところ、歌詞のあまりの真っ直ぐさ
からか、メロディの美しさからか、果たまた森進一の振り絞るような表現力のせいなのか、
どうしても男側に完全に感情移入してしまう。彼の号泣トーンにつられて何の涙だかわからない
涙がつい、こぼれてきてしまう。
正味8行だけの歌詞内容なのに、もう充分すぎるほど二人の心情や関係性が伝わってきて
徹底的に切ない。もちろん歌詞だけでなくメロディーもいいからだが。

それと、あのペドロ&カプリシャスの大ヒット曲 『五番街のマリーへ』『ジョニーへの伝言』
阿久悠作品であった。(知らなかった)

 

これも今では超スタンダードであるが、改めてこの辺りを聴いてみると、状況設定の作り方や
外国人の名前の持って来かたなど、やはりどこを取っても素晴らしく、今も歌い継がれる意味も
わかるというものだ。

   マリーという娘と 遠い昔にくらし
   悲しい思いをさせた それだけが気がかり
   五番街でうわさをきいて もしも嫁に行って
   今がとてもしあわせなら 寄らずにほしい
 
   ・・・・

   ジョニーが来たなら伝えてよ 私は大丈夫
   もとの踊り子でまた稼げるわ 
   根っから陽気に できてるの
   友だちなら そこのところ うまく伝えて

マリー。
いいよね。ここは絶対 "スーザン" とか "ナンシー" じゃない。マリーって、何ともはかなげで
優しく妙にメランコリックな名前だ。
ジョニーも、いかにも元踊り子のヒモになってたような、ちょっと自堕落で、でも放っておけないような
男に思える。決して "トム" や "スティーブ" では出せない味わい。
あと、マリー も ジョニー もどことなく無国籍な響きがあって、下手すると外人じゃなくて日本人では
ないのか?くらいに思わせる (通称みたいな) ところが絶妙で、それがどことなく親しみを覚えさ
せるのである。

そしてまた両方とも、元恋人へ残る想いを伝えるのに、何故か「第三者」を介している。
私の愛するパット・メセニーの曲に 『Tell Her You Saw Me』 という、彼にしては珍しく湿った
タイトルの佳曲があるが、心情的にはまさにこの世界である。
「Tell her you saw me =俺に会ったと彼女に伝えてくれよ」 と第三者(友人)にさりげなく言う。
決して「俺は元気にやってるって彼女に宜しく言ってくれ」とまでは言わない。
「この前アイツ(=おまえの元恋人)に会ったぞ」と、ちょっと話に出してくれるだけでいいのだ。
何かそんな細い細い消息で、心の行間を読んで欲しいという感じだと思う。
昔捨てた女マリーのことも、友達に「ちょっと見てきてくれないか?いや、幸せそうだったらいい
んだ、何も言わなくていいから。いやホントホント・・」みたいな、何とも微妙な思いをにじませている。
いつだって誰だって、昔の恋人というものはやはり特別な存在なのである。
やはりどちらもその辺のデリケートな感じを非常にうまく表現している歌詞だと思う。

こうやって、改めて阿久悠の歌詞を鑑賞してみて全体的につくづく実感したのは、とにかく状況
説明や感情表現がおそろしく平易でわかりやすいということだ。
これだけの大家であれば、もう少し抽象的で難解な表現を選んだり、教訓めいたメッセージを入れ
込んだりして歌詞そのものに重みや文学的価値を求めたりしそうなものであるが、彼は決して
そういうことをしない。
歌謡曲の歌詞を、決して歌謡曲の歌詞以上の位置には置かず、あくまで大衆の手垢にまみれる
ものとしてのレベルで決着をつけているのが何とも潔い。
これは、沢田研二ピンクレディーの全面的プロデュースなどに顕著に表れている面でもあるが。

この2者について語りだすとこれまた見事にキリがなくなるので止めておくが
(気が乗れば次回でやる、かも)
大衆の手垢代表といえるジュリーの黄金時代の作品群の中に、1曲だけいぶし銀のような光を
放ち今も人気が高い 『時の過ぎゆくままに』 という曲がある。
(このページのトップにあるジャケ写はコレです)
『ダーリング』 だの 『TOKIO』だの、誰でも楽しめる色変わりする飴玉のような、明快でインパクト
重視の曲を連発していた中に、ぽつんと 『時の過ぎゆくままに』 などという珍しく退廃的なタイトル
と哀愁漂うメロディの曲が入り込んだために、逆に妙に印象的だったのだろう。

かくいう私もとても好きな1曲なのであるが、このくらいの曲だとさすがに歌詞は多少なりとも
抽象的だったり哲学的だったりするんだろうな・・・と改めて歌詞を追ってみるに

   
   あなたはすっかり疲れてしまい
   生きてることさえいやだと泣いた
     ・・・・
   時の過ぎゆくままに この身をまかせ
   男と女が ただよいながら
   堕ちてゆくのも しあわせだよと
   二人つめたい からだ合わせる

「なんとなく空しく疲れているのだ、この男と女は」 と、そんな一見わかりずらそうなアンニュイさ
すらも、日本全国の老若男女にわかりやすく伝えることが出来ている。
これも、充分に歌謡曲的であった。というか演歌的ですらある。
結局は、ジュリーに、ジュリーが受け持てる以上のミッションを請け負わすことはない。
とは言え、哀愁込めてバラードを歌い上げる淋しげなジュリーも見せてやろうという、そのギリギリ
ラインが、『時の過ぎゆくままに』 だったのだと思う。

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あまりに長くなったので、【後編】として、阿久悠でもう1回書きます。 好きやな~


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トパーズ

深いっっっ。思わず引き込まれ、この長文を一気に読み上げ、ゼェゼェしながら
お茶を一杯一気飲みし、一息ついたところ。(なんじゃ、そりゃ)
しかも、初コメントがこんなコメントで申し訳ないのですが、おネーさん(多分そうだと思うが)のブログは気になって、ちょこちょこ読ませていただいています。
ほぼ全ての内容に、うんうんと深い頷きをしていますが、洋楽については、あまり深く理解できない・・・・それは私が英語ができないため、感情移入までたどり着かないからですが、それでもフレーズとともに勝手に情景を描かせてくれる
おネーさんの表現力は圧巻です。
今回の阿久悠編は、どうやら同世代らしく、英語苦手の私でも、全ての歌詞が即座に思い浮かぶほど、コドモ時代に聞き込んで、体に染み付いているものであり、頷きが一層に深かった。
ということで、一行目に戻る・・・「深いっっ。」内容でありました。
阿久悠というオジサンは、ホントに泥ジャガイモのような風貌で、ポーカーフェイスだったため、隣に座っているシティボーイ調の都倉俊一とは、同じオジサンでもエライ違いだった。だけれど、コドモながらに、このオジサンがキーマンであることは薄々感じていた。それは、必ず良いように言ってあげたり、あまり興味がなさそうだったり、声質にこだわったり・・・そういうことはなく、最もシビアで、かつ真摯であったためだ。
私も、昨年の秋くらいに阿久悠の特集番組を観た。これは確かTV東京であったが、最後にご本人が書いた詞を朗読した。
情景を、淡々と綴ったものであったが、その語り口調も併せ、味わい深いものであった。
・・・とここまで書いて、コメントにしちゃくどすぎることに気づいた。
(既に茶を飲み干し、余韻のコーヒーに煎れ替わっているほどに・・・これくらいおネーさんの長文は読み甲斐がある、読ませる・・・しっかり”読み物”です。)
なので、後編も楽しみにしています~。しっつれいしましたぁ~。
by トパーズ (2006-01-08 13:06) 

parlophone

待ってました!
う~ん、さすがに力作、一気に読ませてもらいました^^
あ、milkちゃん、遅くなりましたが明けましておめでとうございます。
ことよろでございます^^

ぼくはまったく見たこともないんですが「スター誕生」、すごく怖い番組だったんですね~。
ぼくも松田トシ先生の歯に衣着せぬ評にどんどん傷ついていくいたいけな少年少女たちを見たかった(←ってどんな性格やねん、自分で怖いわ^^;)

細かいことですがいくつか補足的に書いておきますね。
まず「津軽海峡・冬景色」は「・」があります。
「ジョニイへの伝言」は「ジョニイ」です(笑)。
この二つについては阿久悠さんも「なんでそうしたか覚えてない」と言っています。
とくに前者のほうは「津軽海峡の冬景色という意味ではなく、津軽海峡冬景色という象徴語なのだから、・はないほうがずっといい」と書いています(V.J.さんに勧めた例の本より)
で、この女の人は津軽に帰ってきたんじゃありませんね。
青函連絡船に乗ってるんですから。
だから北海道の人^^

それから「ジョニイ」と「マリー」は「ジョニイ」の方が先で、「マリー」はアンサー・ソングなんです。
つまり「ジョニイが来たなら伝えてよ」と言ってるのがマリーなんです!
すごいでしょ^^(なんでこんなこと知ってんだろ?)

で、milkちゃんが書いてることはほんとうにそのとおりですよね。
>何かそんな細い細い消息で、心の行間を読んで欲しいという感じ
まさにそんな感じ!

「時の過ぎゆくままに」は例の本を読むと、脚本家の久世光彦に頼まれて沢田研二主演のドラマのために書いた歌で、箱根の宿で久世といろいろと案を出し合って、当時時効が迫っていた三億円事件の犯人に仮想して書いたものだ…と言っています。
「最もみじめな生活をしている青年が、実はひそかに三億円を抱いているとしたら」というコンセプトなんだって!
ひょえ~!!ですよね(笑。
ということでmilkちゃんにも例の本は激しくオススメです。

ところでぼくは「冬の旅」って知らないなあ。
聴くたびにmilkちゃんが涙ぐんでしまう歌って、どんな歌なんだろう。
ぼくも聞いてみたいです。
しかもタイトルがシューベルトの歌曲と同じってとこがすごいですね。
阿久悠の大胆不敵さを思ってしまいます(笑。

後半も期待してるからね~。
by parlophone (2006-01-08 15:04) 

milk_tea

トパーズさん、初コメントで長文、ありがとうございます!
(このブログでは、本文・コメントとも長文であることが1つのアイデンティティ
化しております。ヨロシク)

よく読みに来ていただいているとのこと、本当嬉しいです。

>今回の阿久悠編は、どうやら同世代らしく、英語苦手の私でも、全ての
>歌詞が即座に思い浮かぶほど、コドモ時代に聞き込んで、体に染み付いて
>いるものであり、頷きが一層に深かった。

きっと私世代ですね!でも私のほうが上なのかなー?ホント?
そう、染み付いてるという感じなんですよね。
歌謡曲っていうのは時代の匂いそのものですからね。

そうそう、都倉俊一は確かにシティボーイ風のたたずまいでした。
半年ほど前に上司の付き添いでオペラを観に行ったら、近くに都倉俊一が
座っていて、いたく感動しました。やっぱりいまだにカッコ良かったですよ。

>コドモながらに、このオジサンがキーマンであることは薄々感じていた。

完全にキーマンだったようですね。私はその頃、あまりに無邪気でそういう
ことに気付きもしませんでした。欽ちゃんが仕切ってるのかと思ってました。
(要は見たまんま)
先日の番組では、実はあの頃、萩本欽一と阿久悠との間には確執があった
のだ、というようなエピソードもやっていました。(両人とも否定してましたが
まあ、当たらずとも遠からずだったような感じ)

>最もシビアで、かつ真摯であったためだ。

あーー本当にそうですね。そう思います。

>・・・とここまで書いて、コメントにしちゃくどすぎることに気づいた。

いや全然くどくないです。
また色々感想やご意見ヨロシクお願いします!!!
by milk_tea (2006-01-08 17:52) 

milk_tea

parloさんご無沙汰です!今年もよろしくお願いします~。

スタ誕を見たことがない!?本当ですか?
あれって全国ネットじゃなかったのかしら?
あー、きっとその頃のparloさんは青春まっさかりで、日曜日は彼女とデート
とかライブの練習とか、忙しくて家にいなかったのかもしれませんね。
(私は毎週末は必ず家でゴロついていたヒマ人小学生でしたので)

>細かいことですがいくつか補足的に書いておきますね。

そうそう、V.J.さんのところで、阿久悠の著書について書かれてましたね。
私もそのくらいは読んでからこういうのを書くべきですけどね~。
(身体に染み付いたものの記憶とフィーリングだけで書き殴る。ある意味
かなり暴力的)

>まず「津軽海峡・冬景色」は「・」があります。

ほほー。なるほど。そうなんですね。
確かに、漢字7文字の羅列では漢文みたいだものな・・・・。

>「ジョニイへの伝言」は「ジョニイ」です(笑)。

これについては、疑問です。
手元にある高橋真梨子のCDでは、やはり「ジョニーへの伝言」ですね。
(会社から盗んできたCD)
阿久悠のキブンとしては「ジョニイ」だったんですかね。前述の本ではそう
なっているんですか?

>で、この女の人は津軽に帰ってきたんじゃありませんね。
>青函連絡船に乗ってるんですから。
>だから北海道の人^^

なーーーるほど (大きく頷く)
なにせ、太平洋か日本海かもわからないくらい、頭の中に地図が浮かんで
なかったもので、テキトーなこと書きました。(笑)
これだから、カンと思いつきだけでブログ書いてるやつは困る。
そうかぁ、青函連絡船に乗ってるのかぁ。味わい深いなぁ~。(←今さら)

>それから「ジョニイ」と「マリー」は「ジョニイ」の方が先で、「マリー」は
>アンサー・ソングなんです。
>つまり「ジョニイが来たなら伝えてよ」と言ってるのがマリーなんです!

これを読んで再度、歌詞を読みました。(高橋真梨子ベストCDより)
100歩譲って、アンサーソングはいいとしましょう。
でもジョニーが来たなら伝えてよと言ってるのがマリーだとは、どうしても
思えない!なんか2つで表現される2人のキャラが合致しない気がします。
それに、「元の踊り子でまた稼げるわ・・・」などの表現から、この2人は
明らかに「最近別れたばかり」と思われます。
マリーのほうは、別れて相当時が経ってますからね。
ジョニーの曲が売れて、それに気を良くした制作サイドが、単に
「こんどは男側からの歌を」という、ニュアンスだけのアンサーソングなのでは
ないでしょうか。
(本を読んだ人が言ってるのに、異議を唱える神をも畏れぬヤツ。というか
その本やっぱり読んでみようかな?)

>「時の過ぎゆくままに」は例の本を読むと、脚本家の久世光彦に頼まれて
>沢田研二主演のドラマのために書いた歌で、

これを読み、なんかそのドラマをうっすらと思い出してきました!確かに
そうです!ハードボイルドなドラマでした。
(そんな記憶すらもあった悲しい自分。もっと実利的な記憶を頭に植え付ける
べきだ・・・余計なことばっかり・・・)
なるほどねぇ、そういう背景がねぇ。でもホントいい歌ですよね。
あれは実際、歌詞よりもメロディが良い。誰が作ったんだろうな。

>ところでぼくは「冬の旅」って知らないなあ。
>聴くたびにmilkちゃんが涙ぐんでしまう歌って、どんな歌なんだろう。

7,8年前の紅白のかなり最後のほうで、森進一がこれを歌いました。
私もそれまであまり注目していなかったのですが、これの3番のところで、
本当に涙を浮かべて吐くように熱唱する森進一に完全にノックダウンされ、
それ以降大好きな曲になりました。
ある意味、「おふくろさん」や「襟裳岬」などよりも、あの嗚咽するような歌唱
が一番ピッタリくる内容の歌ですからね。機会があったら聴いてみて下さい。
(そんな機会、ないですよね~。私持ってますよ。これまた会社から
持ってまいりました・・・・)

>しかもタイトルがシューベルトの歌曲と同じってとこがすごいですね。

それを「シューベルトの曲と同じタイトルじゃん」というツッコミをする人が
歌謡曲(というか演歌)を好む層の中にはほとんど居ない。
それが、いわゆる日本の平均的「一般大衆」なのです。その辺も阿久悠は
ちゃんとわかってるから、平気で戴いてくるわけですね(笑)

すげぇ長文レスでした。バカか~
by milk_tea (2006-01-08 18:29) 

parlophone

milkちゃん、どうもです。
「スタ誕」はそこから花の中三トリオが出てきたということで話題になっているのは知ってましたよ。
そのあと「スカウト・キャラバン」とかいう番組もできましたよね。
でも見たことはないんですよ。
そんな恐ろしい番組と知ってたら見とくんだったなあ^^

>私もそのくらいは読んでからこういうのを書くべきですけどね~。
>(身体に染み付いたものの記憶とフィーリングだけで書き殴る…

いやいや、だからこそおもしろいんですよ。
ひとそれぞれの「津軽海峡」があり、人それぞれの「冬の旅」があるわけですからね。
もし読むんだったら、全部書き終わった後で読んだほうがおもしろいんじゃないかなあ。

ところで「ジョニイ」ですが、タイトルについては
「『ジョニー』ではなく『ジョニイへの伝言』というのが、作品登録している正式題名」だそうです。
ただ自分でも「ジョニーへの伝言」と書いて担当者から訂正されたりする、と書いています(笑)。

さて、「ジョニイとマリー」ですが、これはもちろん本に書いてあることではありません。
ぼくもそういう話を誰か(おそらくプロデューサーかだれか)がしているのを聞いただけだったので、改めて歌詞を読んでみました。
うん、たしかに矛盾してる(笑)。
ぼくは「また踊り子でもやって稼ぐわ」と言ってマリーが出て行ってから10年ぐらい経って、彼女が五番街に住んでるのを知ったジョニイがちょっと気になって…という話かと思ってたんですが、マリーはずっと昔からそこに住んでるんですね。
たしかにキャラ的に合わないわ…。
やっぱり「今度は男の側からの行ってみましょう」という程度のアンサー・ソングですね。

ぼくも歌詞を確かめもしないでいい加減に書いて失礼しました。

>あれは実際、歌詞よりもメロディが良い。誰が作ったんだろうな。

大野克夫、井上大輔、戸倉俊一、井上堯之、荒木一郎、加瀬邦彦という6人に作らせて、けっきょく大野克夫のメロディーが採用されたんだって。
すごい話ですよね~。

それにしてもやっぱり阿久悠だなという思いを強くしますね。
「歌は世につれ、世は歌につれ」というけれど、これからもこういう時代を作る作詞家に出てきてほしいですね~。
by parlophone (2006-01-08 20:20) 

milk_tea

たびたび恐縮です。

>そのあと「スカウト・キャラバン」とかいう番組もできましたよね。

あれも有名でしたが、定例的な番組ではなくて、年1回のホリプロの
スターオーディションのイベントでした。
スタ誕と似たテイストの番組としては、「君こそスターだ!」っていうのが
ありました。いかにも「対抗馬」的で、すごい亜流っぽかった。(笑)

>「『ジョニー』ではなく『ジョニイへの伝言』というのが、作品登録している
>正式題名」だそうです。

なるほどー。正式にはジョニイなんだ・・・。
もしかすると、ペドロ名義でなく高橋真梨子単体で歌うということで、レコード
会社も違ったりするから、あえて「ジョニー」に変えて区別してるとか!

>マリーはずっと昔からそこに住んでるんですね。

そうそう。ジョニーを2時間待って、出て行った女はジョニーと別れてどこか
遠くに旅立ってますからね。
それをその第三者がジョニーに「うまく伝えてる」はずなので、数年後
ジョニーは5番街にマリーがそのまま住んでいるとはおそらく、思うわけが
ない。 (なんか刑事ドラマの謎解きシーン的展開になってまいりました。笑)

>大野克夫、井上大輔、戸倉俊一、井上堯之、荒木一郎、加瀬邦彦という
>6人に作らせて、けっきょく大野克夫のメロディーが採用されたんだって。

それはスゴイ話!!!
他の5通りの「時の過ぎゆくままに」が聴いてみたいものです!
そういうコンペティションの末の1曲なんですからイイはずですよねぇ。

>「歌は世につれ、世は歌につれ」というけれど、これからもこういう
>時代を作る作詞家に出てきてほしいですね~。

ホントにそうです。でも今の時代はもう、歌1曲が時代のムードを作っていく
といった単純な図式が難しくなってきていますね。
文化が成熟してくるとこうなってくるものなんでしょうけど。
また宜しくお願いします!
by milk_tea (2006-01-08 23:19) 

ayumusic

こんばんは。
クルセイダーズから阿久悠(←漢字変換が難しいー)ですか。さすが、振り子の幅が大きい!milkさんってやっぱり大人なんですね!
昭和の歌謡曲って、パフォーマーとクリエイターが分離していた世界でしたね。エンターテイメントの世界では、これが本当のフォーメーションなのでしょう。津軽海峡冬景色とか天城越えなんて、今聴いても凄みを感じます。
ただ、あまり永く演じているパフォーマーを見ていると、痛々しさを感じてしますので、疲れてしまうんです。パフォーマーが自分でコンテンツをクリエイトすることが当たり前になった現代は必然だったと思います。
by ayumusic (2006-01-08 23:55) 

milk_tea

ayumuさんこんばんわです。

>クルセイダーズから阿久悠(←漢字変換が難しいー)ですか。さすが、
>振り子の幅が大きい!milkさんってやっぱり大人なんですね!

そう。阿久悠って漢字打つの大変面倒。でも単語登録するのも面倒かなと
思っていちいち漢字を1つ1つ打つ・・「あ」、「ひさしい」(戻って"しい"を消す)、
「ゆうぜん」(戻って"然"を消す)・・という面倒な作業。
途中から「もう、"悪友"でいいか?」と思ったりしました。笑
で、実際私は少しもオトナではありません。ものすごく頭の中は子供っぽい
ですよー。(^^; 17歳で精神年齢が止まった感があります。

>昭和の歌謡曲って、パフォーマーとクリエイターが分離していた世界でした

なるほど、確かにそうでしたね。
今は、自分で自分のプロデュースを考えたり、歌詞だけは自分で書いたりして
「事務所(制作側)の言いなりにはならない」という自分の意思を大事にする
ような動きがありますが、これは音楽にも限らず、「私は主婦だけで納まる
人間ではない!」とか「俺はサラリーマンだけでは終わらないぞ」みたいな、
自分の守備範囲を限定したがらない傾向っていうのがありますよね。
そういう意味では、この「自分・自分」の世の中にあって、自分を押し出さずに
パフォーマーに徹することが出来るというのは、逆にものすごいプロ意識
と言えるかもしれない、とかも思ったりします。
「自分の持ち場をしっかりやり抜く」っていうのは実は大変難しく意味のある
ことだよな・・・と、個人的に最近感じることが多いです。
(音楽は関係なく、なんですが)
(言ってる意味が全然違ったらすいません~。違いそう。)
by milk_tea (2006-01-09 23:26) 

V.J.

いやぁ
凄い。凄すぎる。
凄いです。
自分の記事削除したくなりました・・・
でもね。
それよりすげーのは、遼さんとのバトル!
異種格闘技戦を見ているようです。

遼さんの知識にも、姐ぇの感性にも
どちらにも全く太刀打ちできない洟垂れ坊主が出る幕はどこにもありませんです。

でも一言だけ。
冬の旅ってぇのは、僕はあの番組で初めて聴きましたが、ブルーズですよね。
あの後、五木ひろしが出ましたが、昔、淡屋のり子が森進一は凄いが、五木はダメって言っていた意味がはっきり分かった気がしました。

後編もたのしみにしております。
by V.J. (2006-01-09 23:56) 

milk_tea

ビニ坊お元気でしたか?
(せめて "ヴィニ坊" にしてほしいですかね?せっかく "B" じゃなくて "V"
なんだし?)

>それよりすげーのは、遼さんとのバトル!

人聞きの悪いっ。バトってないです!(^-^;
parlo師匠に色々教えていただいてたんです!(ところどころ、私見を
控えめに出しながら・・・・笑)
それよりも・・・

>冬の旅ってぇのは、僕はあの番組で初めて聴きましたが、ブルーズです
>よね。
>あの後、五木ひろしが出ましたが、昔、淡屋のり子が森進一は凄いが、
>五木はダメって言っていた意味がはっきり分かった気がしました。

出たっ、やっぱりヴィニ坊は着眼点が良い!!子分にした甲斐がありました。
(やっぱり子分にした気だったんかい!)
そうそうそう。まさにそうなんです。巷では五木と森、似たような位置に置かれ
ているけど全然違うんですよね、音楽的奥行きが・・・・。
淡谷先生は、さすが一流でしたのねぇ。そして、その話を覚えていてここに
持ってくるヴィニーもやっぱりさすがだなと思いますね。
(さっきから私、妙にエラそう)

しかし、本気で阿久悠のあれこれを語りだしたら2回じゃ終わらないような。
でもそれじゃ、まるで歌謡曲オタクみたいでバカみたいだから、2回でやめる
ようにします。また読みに来て下さ~い。
by milk_tea (2006-01-10 01:24) 

roland bynum

べドロ&カプリシャスってのはラテン・ロックのバンドで
コンサートなんかではオイェコモパとかやるんだよね。所詮はものまねだろうけどね。
バックの人たちが「カリートの道」に出てくるみたいなヒスパニックのチンピラ
のスタイルで、なんだかやる気なさげで、とってつけたような急造の少女歌手をあつらえてきて70年代のニッポンの歌謡番組に出てるっつうのが
なんだか可笑しく、逆に押し付けがましくなくてよかった。
by roland bynum (2006-01-10 12:39) 

縦割

色々なところを深く書ける人なんでいつも楽しみに読んでますが
今回もキましたねー。かなりキました。
自分は特に歌謡曲は追ってきてませんが、でも日本人ならば
この辺は誰でもわかるネタですからね。すごく懐かしいし、テレビが
最も輝いていた、いい時代だったとしみじみ思う。
後半もかなり楽しみにしています!!(かなり愛読者かもですワ)
by 縦割 (2006-01-10 14:40) 

milk_tea

rolandさん、こんばんわ~!
あーその雰囲気すごくよくわかります。
(ラテンバンドだったことは知りませんでしたが)
子供心にも、ペドロ&カプリシャスが出てくると何だか怖い感じがした。
(ペドロという名前も音感的に怖く感じたし。ぺ~ドロドロドロ・・・みたいな。
・・・意味不明ですが)
本当に皆んな仏頂面ヅラで、「こんなところに連れてこられちゃった俺ら」
って表情をしている中、真ん中にいる若い高橋真梨子も、バックメンバーの
トーンに合わせなくっちゃとばかりに無理して同じような倦怠ムードを作って
いた感じに見えました。
箸が転がっても可笑しい時期に、気の毒でしたねぇ。
曲も売れたんだし、本当はもう少しハシャぎめで行きたかったでしょうに。

あれ?
と、いうことは ペドロが高橋  バックバンドがカプリシャス ではないの
ですね?(何となくそう思ってました)
正確に言えば 『ペドロ&カプリシャス featuring 急造の新人歌手マリコ』
だったんですね。(笑) 業界も色々大変だ・・・・
by milk_tea (2006-01-10 23:37) 

milk_tea

縦割りリンゴさん、なにげに毎度です!

>今回もキましたねー。かなりキました。

本当ですか!ナーイス。
いつも誉めていただき恐縮してます。

>自分は特に歌謡曲は追ってきてませんが、でも日本人ならば
>この辺は誰でもわかるネタですからね。

そうですよね。
その世代であった人なら、部屋で1人でラジオを聴いていたとかだとしても、
夕食で呼ばれて茶の間に行ったら当然のようにテレビがついていて、ジュリー
が帽子投げたりミーちゃんケーちゃんが脚広げたりしてたわけですから(笑)
まあ私ほど、かぶりつきで見てたかどうかは別ですが・・・。
私は小さい頃から、変に色々な事に好奇心旺盛なほうだったので、いまだに
くっだらないことを山ほど覚えているんですよね。
そういうムダな記憶や何の足しにもならない知識が、ン十年も経って役に
立つ時が来るとは本当、思ってませんでした(笑)
また来て下さいね~
by milk_tea (2006-01-11 00:17) 

V.J.

度々すみません。
roland bynumさんのコメにもあるように、ペドロ~はラテン・ロックバンドだったんですか…以外に若いビニ坊主は(爆)、完璧、叙情派POPSバンドだと思ってました

ルイズルイスのいたカップスも、えらく不良バンドですが、お茶の間では「長い髪の少女」ですよね。
(ちなみに、Charのトコで、コメ入れようと思いましたが、ルイズルイス氏は「リード・ベーシスト」と呼ばれる位のベースバカです!)

当時のバンドは裏と表(どっちが裏か?ってのが微妙な気もしますが)を使い分けつつお茶の間浸透を図っていたんですね~
例の阿久悠TVでは、カプリシャス(で良いのか!ペドロ=高橋ではない事は直感的に分かるが!)達は、「内山田洋とクール・ファイブ」並みに、だらけきって、楽器も持たずにコーラスしてましたよね?
そーいえば、内山田~も楽器持ってるとこ、見た事ある記憶が…

なんか、聴き手も送り手も未成熟な感じしますねぇ。そんなカオスな状況がまた、この当時特有の現象?これも面白いなぁ♪

ちなみにペドロ達の歌では、「別れの朝」ってのが好きですが、高橋女史時代では無いって事実を知った時、こいつらは、「ロス・インディオスとシルビア」と、同系統なのか?と思った事があったのを思い出しました。
やはりペドロズはムード歌謡の若年層浸透の尖兵だったのかなぁ???

もう1ミクロンも阿久TVから外れたコメ汚し…失礼致しました。(長文だし)
by V.J. (2006-01-11 02:11) 

milk_tea

>ルイズルイスのいたカップスも、えらく不良バンドですが、お茶の間では
>「長い髪の少女」ですよね。

ビニ坊って本当に私より年下?古いこと詳しすぎる。私も兄がいたせいで
かなり昔のあれこれに詳しいですが、貴方も相当ですよね。

>(ちなみに、Charのトコで、コメ入れようと思いましたが、ルイズルイス氏は
>「リード・ベーシスト」と呼ばれる位のベースバカです!)

リードベーシストって可笑しいですねー。でもあのDVD見ていても、実は
一番カッコイイのはルイズのマーちゃんや上半身裸で黙々とドラムと対峙する
ジョニーなのですが、そこはミーハーの私、渋いとこには目もくれず、
わかりやすいカッコ良さに腰砕けに。まだまだ青いですねぇー

>ちなみにペドロ達の歌では、「別れの朝」ってのが好きですが

また渋いところ出してきますね~。懐かしい。
「別れの朝」は完全にムード歌謡ですもんね。
これは誰が作ってるんだろうな、と思って今調べたら
作曲:ウッド・ユルゲンス 作詞: なかにし礼 とのことでした。
確かになかにし礼っぽいかも・・・。(ちょっとヨロメキ系である)

やっぱり一緒に暮らしてた男女が別れるのって「朝」なんですかね。
「別れの午後」とかだと、昼までは一緒にテレビ見たり布団干したりしてたっ
ぽくて生活臭が漂うし、「別れの夜」だと、なんか晩までモメまくって相当
荒れた末に決断した、って感じ。
やっぱりここは、分断された新しい時間の美しさ、ということで「別れの朝」
なのかな。
それにしても、あのけだるいバックバンドがカプリシャスだとしたら、ペドロは
どこ!もしや、元々が「ペドロズ」と「カプリシャス」が合わさって出来た男バンド
だったとかかな?
あのぉ~、さっきからずっと阿久悠、関係ないじゃないですか~。
お願いしますよホントにぃ~ (私か)
by milk_tea (2006-01-11 23:39) 

V.J.

寝ようと思ったら寝れないお返事が(爆)

>ペドロはどこ!
僕は、ペドロ氏は、じゃんじゃんフロントの顔をとっかえひっかえしている暴君。バンマス。と踏んでます。
ラテンバンドらしいですから、チビ、ヒゲ、小太り、パンチパーマの伸びきった髪形のパーカッション担当者でしょう!

>別れの朝
向こうの曲だったんですかぁ~
これ、前にカラオケに行った時、僕たち(この「たち」は姐ぇと僕って事です。ちなみに)とは完全に世代が違う熟女が歌っていて、歌い終わった後、「革命に身を投じる男が愛する女と別れる歌よ」と言っていたと記憶しています。

過激派がゲバ棒持って内ゲバ行く図(これまた古過ぎる…)だと思ってました。

>やっぱりここは、分断された新しい時間の美しさ、ということで「別れの朝」
なのかな。
もうヤバイ位の洞察力♪
日本語の美しさや奥深さや難しさや拡がり。
そんなこんなを考えさせられます。

そんな単語一つ一つに意味を込めたり、あえて込めずに語感で勝負する阿久しい氏の凄さを、立ち返って改めて感じ入る次第です。(これはなかにし礼でしたね…)

一応、話題を戻しておきました(爆)
これで、後半のとっかかりにしてください(激爆)
by V.J. (2006-01-12 02:12) 

milk_tea

>僕は、ペドロ氏は、じゃんじゃんフロントの顔をとっかえひっかえしている
>暴君。バンマス。と踏んでます。

ありそうですね~。(内情知ってる人がこれ読んだら笑うのかもしれないが)
ペドロ話題になったので昨晩もう一度、阿久悠特番のペドロの歌のところを
見直してみたのですが、ホント、なんなのでしょう、彼らは。
ラテンの魂をどこかに置いてきたとしか思えない、日陰でしなびてる野菜たち
みたいな顔ぶれ。皆、目が死んでますし、6人もがガン首揃えて出てきてる
ってのに、コーラスの声ほとんど聞こえず。しかも、そのうちの1人は麻原彰晃
ソックリでした。(それはどうでもいいけど)
おそらく、かなり「不本意」なんでしょうねぇ。不本意だけど親は結構喜んでる
からしょうがないみたいな。

>歌い終わった後、「革命に身を投じる男が愛する女と別れる歌よ」と言っていたと記憶しています。

なんかカッコイイ・・・。全共闘時代ですね。
道理で、「別れの朝二人は冷めた紅茶飲み干し さようならの口づけ 
笑いながら交わした」 って、笑って口づけして別れてますからね!
痴話ゲンカの末とかじゃないんですよね。国家の運命に翻弄され・・・あふれる
野望と理想の末に・・・って感じだから、笑顔で別れられるんですよね。
この国のより良い明日のためだもん、しょうがないや~みたいな。
(実際は、無意味に暴れるだけで国などは1ミクロンも痛くも痒くもないのだが)

ないですね~。私は過去、そういう美しい別れ・・・
しかし、カラオケで「別れの朝」渋いですね。その熟女先輩も。
そのかたにも色々美しい思い出がありそう。

>そんな単語一つ一つに意味を込めたり、あえて込めずに語感で勝負する
>阿久氏の凄さを、立ち返って改めて感じ入る次第です。
>(これはなかにし礼でしたね…)

ホントホント、意味を込めずに語感で勝負、そうなんですよねぇ
で、語感の余韻の果てに、何故か知らず知らず全体の意味も理解できて
しまう、と。 (だからなかにし礼・・・・)

>一応、話題を戻しておきました(爆)

なんか、戻された気になりました。ビニ坊ご苦労でした。
続きもさっき書きましたのでヨロシク。
by milk_tea (2006-01-13 01:41) 

Chiaki

スター誕生のことを調べている際にこちらに突き当たり、感動したことをお伝えするためコメントを残させていただきました。
何か久々に文章を読んでお腹をかかえて大笑いした気がします。
欽ちゃんの言いそうなセリフや松田先生や阿久先生とのやりとり、「ほんと、こうだった・こうだった!」という感じ。
映像記憶を文字に落とし込む才能がハンパない!最高ですね。お宝発見です。
実は自分でも漠然と、長年で堆積した記憶を整理してこういうものを書いてみたいというくすぶった思いはありましたが、こちらを読ませていただいて、あ、私には無理だな、と気付かされました。
こんなに面白くも書けないし、掘り下げることも出来ません。
膨大な時間を必要としそうですが(すでに3時間くらい見てます(笑))他のページも読んでみたいです。楽しみです。ありがとうございました。

by Chiaki (2012-03-17 02:22) 

milk_tea

Chiakiさん初めまして。気付くのが遅くなり申し訳ありません。コメントをどうも
ありがとうございます。
「スター誕生」は子供の頃本当に毎週楽しみに見ていたため、とにかく記憶が鮮明
です。デビューコーナーが何故か一番好きでしたね。デビューを果たした新人歌手
が客席の真ん中に作られたセットの前で、4週間ばかり毎週デビュー曲を歌うん
ですけど、イルカのオブジェの横で歌っていた城みちるや、コミカルな振り付けが
楽しかったポップコーン(ブルーロマンス・ファーマシーっていうデビュー曲)、
座ってギターを弾いて歌うのが新鮮だった清水由貴子、紫の学生服がやたら
気持悪かった藤正樹、等々どの人も懐かしいです。
やはりスタ誕デビューで、けっこう好きだった黒木真由美さん(南沙織の二番煎じ
みたいな雰囲気の)さんは、わりと最近、近所のイトーヨーカドーのエレベーターで
一緒になってビックリしました。今では普通に家庭の奥さんをされている雰囲気
でした。(いくらでも出てくる、こういう話(笑))

昔の記憶というものは、ほつれた糸のように先っぽをうまく見つけると意外に
どんどんほどけていくもので、書くことは次々出てくるものです。Chiakiさんも色々
お書きになってみるといいと思いますよ!
by milk_tea (2012-03-21 23:03) 

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